視聴率をかせごう

2006-08-09 08:16



亀田というボクサーの試合を見た。12ラウンドだけだが、素人目には


「亀だがよれよれで、時々ぺちぺちパンチを出すだけ」に見えた。解説、アナウンサー陣も「思い切って、全部ぶつけてほしい」と連呼していた。逆に言えばそれほど手が出なかったのだ。


にもかかわらず3人のうち一人のジャッジは最後のラウンドを亀田につけたおかげで彼は世界チャンピョン。ボクシングというのはもともと胡散臭いスポーツだが、ここまで露骨にやるといかがなものか。


いや、かつてはこれでもよかったのだろう。一般視聴者は、放映された映像を共有し、それについて意見を述べ合う、といった手段を持っていなかったからだ。どんな下手な試合を作り上げてしまったとしてもその後で「大本営発表」を連発すれば、それは伝説の試合に昇華させることができたのだ。たとえば「猪木-アリ戦」のように。


しかし今は事態は変わった。インターネットという媒体が普及したことにより、放映された動画を共用し、それについての思いを語ることが可能になったのである。そして見逃した人は動画をみ「これはひどい」と思う。そして掲示板を読み、そう考えているのが自分だけではないことを知る。つまり以前は「放映逃げ」が可能だったのが、不可能になりつつあるのだ。


一部の掲示板では、亀田の関係者や放送局ではなく、そのTV放送においてCMを流した、つまり金を払った企業に怒りの矛先を向けている。亀田一族は馬耳東風だし、放送局は「内容については”賛否両論”あるようだが、こんなに高い視聴率がとれた」とご機嫌だからだ。


私が又聞きで得た知識によれば、TV関係者というのはこの視聴率という数字をとても重要なものである、と考えているらしい。とにかく視聴率さえとれればよい。内容がどうだとか3の次、4の次に考えているとか。


しかし私は考えるのだ。本当に多くの視聴者が見る、ということはTV関係者にとって喜ばしいことなのだろうか、と。それは多くの人間が「不正を目の当たりにする」ということでもある。そして仮にその怒りがスポンサー企業に向かう場合、その「高視聴率」は吉とでるのか凶とでるのか。


次に亀田の試合が組まれるときには面白いことが起こってくれないか、と期待してる。またもや多くの視聴者がチャンネルを合わせる。しかしそれは「よい試合を期待して」ではなく、不正がどのように行われるかを見るためだ。


そして高視聴率が期待されるにもかかわらず誰もCMを流そうとしない。公開不正行為を映し出す番組にCMを流すことは製品、企業のイメージに逆効果だからだ。多くの人間がそれを見るとなればなおさらのこと。


かくしてTV関係者が絶対視している「視聴率」が全く逆の作用を持つにいたる。期待される視聴率が高ければ高いほどスポンサーが逃げるのだ。TV局がほしいのはスポンサーからのお金。現在はそれが視聴率に直結されていると信じられているため、視聴率を追い求めるのだろうが、それが逆に接続されると何が起こるのだろう?