ロックの魂
2006-11-08 10:04
というわけで昨日はアーノンクール指揮、ウィーンフィルの演奏会に行ってきた。
最初はモーツァルトの39番。細かいところばかり気にする自分がいやだ。第一楽章でトランペットの音が間抜けに響いたような気がする。第2楽章、弦楽器で一人つんのめる人がいた。しかし3拍子の「ずんちゃっちゃ」はさすがに軽やか。
などという細かいところはさておき、上手なオーケストラ(と聞いているもの)で私のような素人にでもわかるすばらしさというのは「弱音」である。音は小さいが、しっかりとしかも伸びのある音が奏でられる。それがあってこそ自由な表現が可能なる、、などと言うと怒られるかな。
次はベートーベン7番。これは「のだめ」のSオケの課題曲でもあるのだが、さすがに千秋先輩+のだめ、とは全然違う(あたりまえと言わないように。私はその程度のミーハーなのだ)というか予習のために聞いていたラトルとも全然違う。強弱、緩急を自由に操り全く観客を飽きさせず。これは奥様の言葉だが「下手な指揮者がこのまねをするととんでもない演奏になる」という危うさを感じさせずに音楽を奏でるのは見事としか言いようがない。指揮者と実力のあるオーケストラのコンビネーションがこの音楽を生み出すのか。
聞いているうちに確信する。この指揮者にはロックの魂があるに違いない、と言ったら奥様に簡単にスルーされたが、しかしそうに違いない。鍛えられた技を自由にふるい、魂の叫びを聞かせるのがロックでなくてなんであろう、、とはあまり本人も深く考えていない言葉なのでつっこまないように。
帰り道ハンドルを握りながらあれこれ考える。音楽であれば、名手と凡手の差は私のような素人にもわかる。しかし仕事はどうだ。プログラム開発はどうだ。実際ベルリンフィルと名フィルくらいの差異は存在するにもかかわらず、その差は無視されがちだ。あるいは
「楽譜(=ドキュメント)を整備することが重要だ」
「完成度が低いです。完成にはメンバーを5名追加する必要があります」
などというクラスの馬鹿げた理屈が堂々とまかり通るのもこの世の姿、というやつだ。この「人が足らない、予算がたらない」というのは全く便利ないい訳だが、そもそも自分が何を作っているのかわからなければ永遠に物は完成しないよ。
などと考えると気がめいるので、別の例を。プレゼンテーションもかくのごとくありたいものだ。一本調子にしゃべるのではなく、緩急、強弱を自在に駆使して持ち時間を奏でるのだ、と意気込みだけはあるのだがどうしたらいいのかはさっぱりわからん。