iPhoneショックから少し立ち直り
2007-01-11 07:57
今日は愛読しているLife is beautifulより
日本で携帯電話を作っている人たちは、「そんなの技術的には簡単だよ。でも通信事業者がやらせてくれなかったんだ」と悔しがっているに違いないが、そんな「技術的には簡単だが、色々な事情で一筋縄では出来ない」ことを出来るように持ってしまうのがスティーブ・ジョブズの力なのだ
全く同感である。昨日考えていたのは
「Jobsには”大人の事情で”という言葉が通じないにちがいない」
ということ。
iPhoneから私が受けた衝撃を、企業という組織の中でものを開発したことがない人にわかってもらうのは難しいかもしれない。ハード屋さんはこういってます(ちなみに私はこの「屋」という言葉が大嫌いだが)ソフト屋さんはこういってます。じゃあできるのはこういうところですか。企業の中でものを作るということは、こうした妥協の積み重ねである。
その結果一番おざなりになるのは「で、その結果はユーザから見てどうなるの?」という視点である。誰がどんな奇麗事を言おうがそうである。そりゃまベストの解じゃないかもしれないけど、いろいろ「大人の事情」があってね。。
しかしJobsが作るものを見ると、彼にはそんな言い訳は一切通用しないに違いない。ユーザに最高の経験を与えること。そのために障害があってもとにかく打ち砕くかくぐりぬけてしまう。そうした結晶が今回発表されたiPhoneだと思うのだ。言葉の上で機能だけ並べれば今日本で売られている携帯とそう変わりはないかもしれない。しかしその結果を見れば「妥協と大人の事情の塊」の日本の携帯とiPhoneの違いはベルリンフィルと名フィルくらいの違いとも思える。携帯端末に本当にMac OS Xを乗せてしまい、その上でフルブラウザを動かす。PCと変わりないメールの操作性を実現する。こんな「事情通にとっては非常識だがユーザにとってみればあたりまえのこと」を本当に実現するのがどれほど困難か。
こういうトップの下で働くのはやりがいもあるが大変だと思う。しかしその結果は見事だ。Jobsのプレゼンにはいつも感銘を受けるが、そのひとつの要因として「Jobsが心のそこからプレゼンしている製品をすばらしいと思っている」ことがあげられるだろう。(実際すばらしいのだが)だからこそ言葉にあれだけの力がでるのだ。自分でも内心「これはいまいちだけど、、まあいろいろな事情を考えればこんなところかな」と思っている人間の言葉にあれだけの力はない。
最近見かけた中では任天堂の社長のやり方がAppleに近いのではないかと思える。トップが明確なビジョンを持ち、それを形にしていく。おそらく社内では「屋」どうしの不毛な妥協もあるのだろうが、最終的に形になった製品にはそうした「大人の事情」は全く見えない。
このように「明確なビジョンと実力をもったトップ」がいる企業のものづくりというのは、実に明快で気分がよい。それが商業的に成功するか否かにかかわりなく。ちょっとまて。SCEのクタも「明確なビジョンと実力をもったトップ」ではないのか、と聞かれれば私はこう答える。
「彼が持っているのは”明確なビジョン”ではなく”ひずんだ妄想”だ」と。その結果がPS3なのだと思う。