自分中心のユニバーサルデザイン

2007-06-04 00:00



HCD-Netフォーラム2007 「ユニバーサルデザインはこれからどうする」に出席した。


まずパネル討論に先立ち、参加者のプレゼンがあった。当初の予定表から考えるに一人の持ち時間は15分。発表順序は以下のとおりである。


【それぞれのユニバーサルデザイン】13時40分から14時55分


・諸永 裕一氏 (経済産業省)


・川原 啓嗣氏 (国際ユニヴァーサルデザイン協議会)


・関根 千佳氏 (ユーディット)


・横尾 良笑氏 (日本ユニバーサルデザイン研究機構)


・ばば こういち氏 (放送ジャーナリスト)


参加者は大変しゃべりなれた印象のある人たちだった。よどみなく、芝居がかった口ぶりで自分の考えるところをとうとうと述べる。


終了予定時間は14時55分。しかし3人目の関根氏がしゃべり終わったのが15:00だった。関根氏は途中で自分が時間オーバーしていることに気がついたようだが、それでもしゃべり続ける。


次の横尾氏は20分しかしゃべらなかった。(途中で時間オーバーに気がついたようだが、やはりとまることはなかった)


彼らの述べた内容は大変勉強になった。そして私のようなチンピラサラリーマンよりもはるかに社会的に重要な仕事をしていることも間違いない。


しかし聞いているほうとしては彼らの言葉をそのまま受け取るわけにはいかない、と感じた。「誰にも優しい社会の実現。誰もが使えるユニバーサルデザインを」と説く彼らは、運営側の立場、あるいは忙しいなか時間を割いて参加している参加者の都合をまったく無視しているからだ。


「よいことをいう」ことと「よいことを行う」ことの間には深くて長い溝がある。というかまったく別物である。韓非子も説いている。その人を見るには言うことと行うことを両方を観察すること、と。


参加者の中で最後に登場したばば氏はこのような文章を書いている



企業人としてUD部門を担当し、UDこそ今の製品作りに不可欠だと高らかに叫んでいる者の中には、家に帰れば横暴な亭主関白だったり、子供にはまるで理解のない頑固親父というタイプが居る。自己中心的で他者の言葉などは聴こうとしないタイプの人間でもある。この種の建前と本音の二重性を持つ男が日本には多いのだが、いくらUD、UDと叫んでもまさに「仏作って魂入れず」でそんなUD製品はどこかに欠陥が出てくるものである。



ばば氏だけはきっちり15分でプレゼンを終えた。彼の言葉にはこれからも注目していきたい。