零戦64型とP-80

2007-07-20 00:00



iPhoneが巻き起こした騒ぎをここしばらく見ていた。発表直後からその反応はさまざまだった。


実物がユーザの手に渡り、評価も少し落ち着いてきたように思う。今日は私が「今のところ一番印象深く読んだもののうちのひとつ」を引用したいと思う。


以下国内6メーカー担当者が実物を見て語った「iPhoneの衝撃と本音」より引用



C社端末戦略担当は、「実際使い込んでいくと、ズームインなどの描画速度は遅かったりする。これは、国内メーカーの立場からすると、とても許せる範囲ではない。


(中略)


また、200万画素カメラに関しても、D社端末企画担当は「画質は、かなり悪い」と手厳しい。


(中略)


 日本メーカー関係者らしい視点としては、「ツメで操作ができないのでは日本の女性ユーザーには受け入れられない」(E社製品企画担当)


(中略)


ほかにも、「マナーモードにすると、カメラのシャッター音も消えてしまう。盗撮防止としてシャッター音を消せないようにしている日本市場ではあり得ない。また、ムービー使用時のコントラスト調整ができなかったり、フォトアルバム表示時の操作性がいまいち。細かいところまで見ると『甘い』と感じる部分がある」(C社端末戦略担当)という。



このように携帯メーカー各社の担当は、iPhoneが日本で受け入れられる上で問題となる点をいくつも挙げていく。そうした細かいところに神経を配り製品を作り上げている担当者ならではの意見なのだろう。


こうした点をあげつらう「だけ」の意見はiPhone発表直後から大変多く目にした。日本人はテンキー文化に慣れているから、絵文字が使えないから、お財布ケータイが使えないから、片手で操作できないから、タッチパネルで成功した製品はない、、etc..


しかしこの記事に感心したのはそうした「戦術的に日本の携帯が勝っているところ」だけで終わっていないからだ。



機能でいったら日本のケータイが圧勝のはず。しかし、国内メーカー関係者のほとんどは「悔しいけれど、iPhoneはすばらしい」と白旗をあげた。果たして、何が違うというのか。


 「例えて言うなら、日本のケータイはリフォームを繰り返した、築何十年の注文住宅なんです。どんなに、内装や外装は変えられても、基本構造の梁や柱は変えられない。一方のiPhoneはオール電化でバリアフリーが完璧のデザイン住宅。どちらが住み心地がいいのかなんて、一目瞭然です」(B社マーケティング担当)。



ここで話は飛ぶ。1945年。日本が零戦の最後の改良型となる64型の生産を始めた。零戦は細部まで美しく磨き上げられた一種の芸術品とも言える工業製品だった。そして日本は戦況にあわせ次々と「改良型」をつくりあげていった。私が使う表現だが「線をどこまでも延ばす」ことを極限まで行ったのが零戦64型だったのだ。


同じころ米国はジェット戦闘機であるP-80を生産していた。


当時の日本の技術者にP-80を見せれば、おそらくいくつかの「問題点」を指摘したことだろう。きっと「こんなに旋回性能が悪くては日本のパイロットに受け入れられない」とか「航続距離がこんなに短くては、海軍の要求に適合しない」と言う人だっていかたもしれない。


しかし相手はそうした「細かな問題点」とは別の次元にすでに移ってしまっていたのだ。今回引用した記事はこれまで何度か書いてきた


「iPhoneは日本の携帯電話とは全く別の戦場で戦っている」


という私の主張と一致している。


記事は



国内メーカー関係者のほとんどが、アップルの開発体制を「うらやましい」と思ったとともに、悔しさを感じていた。iPhoneの登場によって、国内メーカーが奮起してくれることはとても喜ばしいことだ。



という論調で締めくくられている。私もそうした奮起を期待したい。しかし部外者の限られた知識で携帯業界を見たときの「不安」もある。


今回インタビューされているのは「携帯電話メーカー」の人間だ。しかし彼らは直接消費者と向き合っていない。彼らの「ユーザ」は「キャリア」なのだ。そして問題はキャリア、特に幹部がどう考えるかなのだ。


ここで少し私事がまじる。私がかかわっているのは自動車用情報端末、平たく言えばカーナビの業界だ。そして私にとっての「お客様」とはドライバーではなく、自動車メーカーである。


そして結局のところ、われわれが作ったものを「評価」するのは一般ユーザではなく、「自動車メーカーの偉い人」である、という点で携帯業界と似た図式があるのではないかと思うのだ。われわれにできるのは「提案」することであり、直接自分たちの成果を「世の中」に問うことではない。一般のお客様がどれだけ熱狂しようが、自動車メーカーの偉い人が一言言えばすべてはお蔵入りである。


こうした図式と仮に携帯業界が似ているとした場合、はたして何ができるのだろうか?これは全くの妄想だが、携帯電話メーカーでは依然として



「iPhoneすごいねえ。ところで冬モデル(よく知らん)の提案書明日までね」



という会話が飛び交っているのではなかろうか。


しかしAppleがiPhoneを出したことを見ていると、時々妄想にふけりたくなるのだ。われわれが、あるいは携帯電話メーカーが



「あ、そうですか。御社には採用いただけないと。じゃあ別のお客様にもって行きますからいいですよ」



と言える日がこないかと。くだらないしがらみやら「業界の常識」をすべて吹き飛ばすすばらしい製品を作り、「お客様」と対等の立場で協議ができるようにならないか、と。