活躍している日本企業

2007-08-23 00:00



昨日の読売新聞一面に概略次のような記事が載っていた。



世界中で大ヒットしたiPodを分解してみると、日本の部品、素材が多く使われていることがわかる。分野によっては独占的な地位を築いているものもある。


しかしiPodの中で勧告製品の推定コストを算出すると日本製品のそれより大幅に上回る。また部品、素材はがんばっていても、全体の製品で考えるとウォークマンはiPodに歯が立たない。(うろ覚え)



たとえばトヨタはもうけているが、彼らはあらかじめ存在している「自動車」という枠の中で勝っているに過ぎない。iPodのように従来ニッチだった製品分野で爆発的にヒットし、産業構造を変えてしまうようなインパクトのある製品では今の日本企業はいささか寂しい、と思うわけだ。




さて、話は日本における「関連企業」なるものと発注元企業に飛躍する。前にも書いたと思うが、日本において、発注元、下請けの関係というのはどこか人間の貴賎にまで及ぼされているようないびつなものだ。誰も口には出さないだろうが、自分が他人に発注する企業(そういった企業の多くでは社員は書類しか作らないのだが)は「下請け企業」の従業員より自分が人間的にかなり高級だと信じていることだろう。


しかし先ほどの記事の論調に与するとすれば、世界的に見て見事に戦っているのは「下請け企業」(中小企業)であり、劣勢を強いられているのは「高級な人間で構成された発注元企業」という図式が見えないだろうか。つまり日本で大企業(つまり発注元に回ることが多い会社)の人間は、下請企業を見下し、自分を高級な存在と思っているが実力は今ひとつ。Fool on the Hillの集合体なわけだ。


この「大企業の無能さと日本における大企業社員の”いびつな”精神構造」の間に関連があるのかないのかはわからない。なんとなくあるような気もするのだよね。新しい斬新なアイディアが持ち込まれても「自分たちは高級な人間だ。貴様のような下賎な民の提案など」と言って一顧だにしない。


同じ提案を米国企業(たとえばApple)は採用したりする。優秀なエンジニアを三顧の礼で迎える、というエピソードで私に聞こえてくるのは「外資系企業」のものばかりだ。日本の大企業の人間は高級すぎて他人に「三顧の礼」を尽くす、などということは思いもよらない、、のかもしれない。本当は逆なのだけどね。