広告費というものの危うさ

2007-08-24 00:00



インターネットが普及してからというもの「なんでも無料」という話が目に付くようになった。ものすごく単純化した話をすると広告で金をもらうからいいのだそうな。


そこから疑問が始まる。広告費というものはそんなに膨大なものなのか?あれこれ調べると結構な額であることを知る。それがあってこそ先日のはてなのセミナーで聞いた


「ビジネスモデルなんかなくても、トラフィックがあればなんとかなる」ということになるのだろう(問題の単純化しすぎだ、ということは承知してます)


一時Microsoftも広告モデルを重視するとか聞いたことがあるような気もする。考えて見ればそもそもテレビなんてものも広告モデルだよね。


さて


問題はその広告費とはいったい何なのだ、ということだ。それがなければ本当にものが売れないのだろうか。実はもっと安くて効果的な方法があるのではないだろうか。誰かがそれを発見したら、今広告費によって成り立っている膨大な構造は崩壊するのだろうか。


などともんもんとしているところに次の記事を見つけた。


「広告はそもそも、効果測定が難しい。『この広告で売れた』とはっきり分かる場合を除くと、CMが流れた回数やバナーのクリック回数、宣伝の話題性などが購買にどう結びついたかとらえるのは困難だ」

 「何が効果的か分からない中、それでも何かやらなくてはいけない宣伝部は、常に霧の中を歩いているようなもの。だから広告の現場では、『これをやるべきだ』というコンセンサスや、『やってよかった』という納得感こそが、前に進んでいくために重要になる」

 「コンセンサスや納得感を求める中で“新しいこと”が何となく力を持つ。広告担当部署は新しいことを切実に求め、『新しいことをやれ』と上からも言われる。そういう状況でたいてい、Webというキーワードが浮上してくる」

 新しいことへの期待を一手に引き受けるWeb広告業界では、定期的に新手法の“熱病”が広がるという。

業界人が告白:Second Life「企業が続々参入」の舞台裏 (1/3) - ITmedia News業界人が告白:Second Life「企業が続々参入」の舞台裏 (1/3) - ITmedia News


この記事の主題はセカンドライフの実態のない熱狂に関するものだが、ここではこの業界人の言葉に耳を傾けたい。


おそらく広告というものは、膨大な費用を使ってはいるが、誰もその費用を正当化できないものなのだろう。(効果が測定できないのだから)そして何の根拠もない「相場」が定まることによってその価格が決められているものなのではなかろうか。何も見えない霧の中に「相場」を作り上げるのだ。そしてそれがよりどころとなる。


考えてみればこうした「裏づけのない相場によって成り立っている産業」というのは結構たくさんあるように思う。ダイヤモンドなんてのもそうかもね。彼らは価格維持のためならなんでもする、、とゴルゴ13で読んだ気がする。


となると前述の私の「懸念」は正しいのかもしれない。誰かが「効果があり、安価な」ものを売るための手法を発見するかもしれない。TVで全国にCMを流すため何億も払わなくても、バナー広告を出すために金を払わなくても


すると何が起こるのだろう?