個人とは
2007-11-16 00:00
「ニッチの集合体」であると考えている。
いきなり何のことか、といえば
現在のコミュニケーションのベースは、2chや有名サイトなどの、誰かがセッティングした「場」 * ROMが多い。 * 2chは一つの板あたり500-1000スレッド。これは、ぜんぜん足りてない。漏れている話題がある。みんなが流行に走る。 * 流行に走るのはつまらないという中二病的動機 * ブログを取り巻く技術が進化すれば、自分のブログをベースにコミュニケーションができる。 * ブロク検索エンジン、ソーシャルブックマーク等。 * 「大量に読めるツール」を使うことで、誰が何を書いているかちゃんと把握できる。「自分の場所」同士がつながる。「場」=「有名サイト」依存からの脱却。
「最速インターフェースの研究と実践」メモ - 最速チュパカブラ研究会「最速インターフェースの研究と実践」メモ - 最速チュパカブラ研究会
私は2chを読むのが好きだ。(ほんのときたまだが書き込んだりもする)。またはてなブックマークを使いその威力に驚く。
しかしながら、それらを使っているとどうしても「情報が狭い」という感をもつことがある。特にはてなブックマークがそうだ。プログラミングの話題。システム開発の話題。政治、マスメディア。それらは確かに集合知により選ばれた情報だから読みがいがある。しかし狭さは否定しようがない。例えば
・ゲルちゃんことゲルギエフ
・アーノンクールのロック魂
・珍スポット
について語ろうと思ってもそれらの媒体では無理なのだ。2chはある程度広いかもしれないけど、それでも珍スポットについて快適なスタンスで話すことは容易ではない。
つまりこういうことだ。大量のデータを集める。そこから統計的な処理を使って何かの傾向を導きだす。そうした方法はインターネット上の情報を扱うという点で実に大きな成果を上げてきた。なんだかんだいって私だってそうした仕組みの上になりたっている検索エンジンに日々お世話になっているのだ。
しかし
大量のデータを集め、統計的な処理を行う、というのは畢竟個人の特異性をならしてしまうことに他ならない。いい年して珍スポットを巡っているような人間は滅多にいない。だからそんな情報は出さない、というのは確かに正しい。しかし私個人にしてみれば、それはとても重要であり、大切な情報なのだ。
かくして「個人はニッチの集合である」という主張をするに至(飛躍してますね)個人はマイナーな趣味の寄せ集まった存在なのだ。
というわけで私は最近「個人のニッチな趣味に合致する情報なりコミュニケーションをどうやって実現するか」という点に興味を抱いている。頭の中にぼんやりしたアイディアだけはあるが、まだ形にはなっていない。
このブログでアーノンクールのロック魂について書いたことはあるが、珍スポットについて書いた事はない。今度からそうした世間的にマイナーな趣味もさらけだすか。。いや、それは本家のサイトで十分かな。