私がブログを書いたりサイトを作ったりする理由

2008-02-22 00:00





ワインバーグの文章読本



ワインバーグの文章読本






を買って読んだ。


本との付き合い方にはさまざまなものがある。新幹線に乗るとき買って、降りるとき捨てる本。あるいは「つん読」とか。


ごくまれにだが長い期間、折に触れ読み返し、そのたびに新しい発見がある本もある。ワインバーグ氏の本とはそうした付き合い方をしている。


この本ともおそらくは長い付き合いになるのだろう。今は冒頭の部分で私に衝撃を与えた二つのフレーズを挙げておく。



頭のいい人が幸せになる方法のひとつは、自己を表現することである。頭の中の広大な空間に雑然と渦巻いている思考や感情を世界に向かって吐き出すことである。P008




興味のないことについて書こうと思うな


このルールを守っていれば、いつも上司に気に入られたり昇進したりするとは限らないが、大量の血を失わずにすむ。P011



この二つのフレーズから考えるに、サイトやブログに好き勝手、自分の興味が向いたことを意味もなく書き散らすことは、自分にとって、とても大切なことなのだと思える。(私が「頭のいい人」とすると文句をつけたくなる人は多いだろうが、まあここは話の都合上そうしておく)


以前サイトのほうに「サイトに文章を書くことは、相手の見えない暗闇に向かってボールを投げるようなものだ」と書いたことがある。今でも基本的にはそう思っている。しかし時たまではあるが、メール、コメント、ブックマークを経由してフィードバックがもらえることがある。つまり暗闇の中からボールが投げ返されてくるのだ。


これはとても興味深い事柄であり、もし私があと70年ほど早く生まれていれば、こうしたことを体験できずに生涯を閉じたかもしれない。そうなっていたとしたら、自費出版でもして、回りの人間に自分が書いたものを配り歩いていたのかな。


もう一つ考えることがある。後者のフレーズの最後の部分。会社で働く限り、自分が興味を持てず、賛同もできない事柄について多くの文章をでっちあげるという作業から逃れることはできない。


その昔防衛関係の提案書を作っていたころ私の額は血だらけだった。最終的には米軍製品のライセンス生産になるに決まっているのに、立場上「自主開発」の提案書を山のように作らなくてはならなかったのだ。これが仕事だと何度自分にいいきかせても、額から流れ出る血は止まらない。


そんな私の様子を見て当時の上役は


「こいつはやる気がない。自分から提案することなどできない役立たずだ」


といって彼が考える「いわれたことだけやっていればいい部署」に私を移動させた。


確かに額から血を流すと上司から嫌われることの方が多いだろう。会社が与えた仕事に対して血を流すなどサラリーマンの風上にも置けない。


しかし仮に、あそこにいてFakeな提案書の山を作り続けていたらどうなったことだろう。過去に対するifはあくまでもヨタ話でしかない。しかし今直面している困難を考えにいれたとしても、今よりあそこにいたほうが幸せだったとは自分には思えない。多分今頃大量の血を失いミイラになっていたのではなかろうか。


ミイラになるか泥の中を尻尾を引きずりはいまわる亀になるかどちらかを選べ、といわれれば判断に迷うことはないと思う。