Steve Jobsのプレゼンを模倣はできても複製できない理由

2008-02-12 00:00



『Deliver a Presentation like Steve Jobs』(Steve Jobs氏のようにプレゼンテーションをする)という記事は、「Steve Jobs氏のようになる」ための究極の手引きを示している。

Jobs氏の「魔法のようなプレゼン」を支える秘訣10ヵ条 | WIRED VISIONJobs氏の「魔法のようなプレゼン」を支える秘訣10ヵ条 | WIRED VISION


Steve Jobsのプレゼンは印象的だ。従って彼のプレゼンテーションを分析し、そこから学ぼう、という記事がたくさん書かれている。


しかし私が考えるに、私が目にした記事は一つの要素を書き落としている。


こう考えてみよう。現実にはあり得ない話だが、JobsがWindows Vistaのプレゼンをしたら、それは我々の印象に残る名プレゼンテーションと呼ばれただろうか?JobsがDocomo2.0のプレゼンをしたらどうだっただろうか?


仮にJobsの「プレゼンテーションスキル」と呼ばれるものすべてを動員したとしても、VistaはVistaだし、Docomo2.0はDocomo2.0だ。


次にこう考える。なぜこの想定が「あり得ない話」なのか?答えは明瞭。今のAppleがVistaやDocomo2.0のようなものをリリースするはずがないからだ。


かくして私が考える「Steve Jobs氏のようになる」ための「秘密」一番は以下の通り。




・自分が効果的なプレゼンテーションをすることができる製品、サービスを作り上げる。




冗談ともトートロジーとも思われるかもしれないが、私はまじめにそう考えている。Jobsのプレゼンがすばらしいのは、第一に(そして90%くらいの比重において)彼が自分がプレゼンしたときにすばらしく生える製品、サービスを作り上げているからなのだ。心から自分がその良さを信じている製品、サービスだからこそプレゼンのリハーサルに多くの時間を割く。言葉に力がある。etc..


これがやれ「秘訣10ヵ条 」だやれ分析結果だなどと並べ立てたところで、彼のプレゼンを複製できない理由である。自分がここからそのすばらしさを信じ、納得しているものでない限り、It's breathtakingなんていったところでむなしいだけだ。


同じロジックを適用すると、クタラギ氏のプレゼンにも同じような力はあったとは思う。少なくとも彼は自分が紹介しているものの力を信じていた。だから言葉に力はあった。問題はその「信仰」を誰も共有できなかったことだ。


任天堂の社長、岩田氏に関していえば、もう少し「技術」の点で改良する余地はあると思う。しかし効果的であることは疑いようがない。


かくして私のようなヒラのサラリーマンにはつらい結論が導かれる。自分が信じることを説明する。その機会が得られないかぎり、いつまでたっても二流以下のプレゼンしかできない、ということだ。