「壁」はなんのために存在するのか
2008-04-17 00:00
例によってランディ・パウシュ教授の最終講義から
(子供のころディズニーランドに行って)こんなすごいところにきたことがない、と思った。そして「もっとここにいたい」と思う代わりに「こんなものを作りたい」と思った。
それから苦労してカーネギーメロンでPh.D.を取った。これさえあれば何でもできると思っていたのさ。急いでディズニーのイマジニア(アトラクションなどを企画するエンジニア)*1に応募した。その結果今まで受け取ったことのないような素晴らしい「あんたなんかお呼びじゃない」レターをもらった。どんな文面だったかというと「応募書類を慎重に検討いたしましたが、あなたの能力に見合ったポジションがありません」。「道を掃除する人たち」で有名な場所からこんな手紙を受け取ったらどんな気持ちになるか想像して欲しい。
というわけでちょっと挫折を味わった。しかし覚えておいて欲しい。「壁」があるのにはちゃんと理由がある。「壁」は人を通さないためにあるんじゃない。どれだけ真剣に「目的を達成したい」と思っているか試すためにある。真剣さが足りない人たちはそこでおしまい。つまり「壁」は他の人を通さないためにある。
少し前には日本中で入社式が行われ、退屈な話がたくさん製造されたと思う。最近、Steve JobsのStanfordでのスピーチと、このパウシュ教授の最終講義さえあれば、そうしたくだらないお話をほとんど不要にできるのではないかとまじめに考えている。まあ、世の中には話をしたい人がたくさんいるからそういうわけにもいかないのだろう。
この後、パウシュ教授は自分でも思ってみなかった道を通って、ディズニーのイマジニアとして働くチャンスを得る。そこでこんなことを言われたのだそうな。
最初にイマジニアに行った時、彼女は私を"Dressed me down”*2した人の一人だった。彼女はこういった「あなたアラジンプロジェクトで働くんだって?何ができるの?」それにこう答えたよ「僕はComputer Scienceで終身在職権を持っている教授だよ」それに対して彼女はこういった「それはいいこと、教授君。でもそんなことを聞いてるんじゃないの。あなた何ができるの?」
いや、素晴らしい。この「あなた何ができるの?」という問いは時折自分の中で繰り返そうと思う。