Time is more than Money

2008-05-15 00:00



このブログで何度か取り上げた、ランディ・パウシュ教授がUniversity of Virginiaで行った講演"Time Management"を見始めている。


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まだ最初の数分をみただけなのだが、既に目から「鱗がごっそり」落ちている。


パウシュ教授はなぜTime Managementなのか、ということについて語る。(私のヒアリング能力+いいかげんな記憶で書いているから嘘も多いと思いますが、指摘いただければ幸いです)



多くの人が、お金は大事だと思っている。しかし時間をお金より重要と考える人は少ない。たとえばMaster courseに行くと年300万円かかるとしよう。2年で600万。もし学生が私のところに来て


「ここにいても600万円の価値があるとは思えません」


と言ったら、その学生を学校から放り出してやる。


しかしもし学生が


「ここで2年間過ごす意味が見出せません」


と言ったとしたら、その学生が納得できる解をみつけられるまで議論するだろう。なぜならそれは正しい疑問だからだ。


仮に学費として600万円使ったとしても、それは後で十分埋め合わせられるかもしれない。しかし時間を取り戻すことはできない。





「余命数ヶ月」と宣告されたパウシュ教授だからこその重みがこの言葉にはある。


ちなみに自分の病状についてはこう語っていた。



癌が転移したのを発見して、医者はなんといったかと言うと


「あなたはあと数ヶ月健康的な生活をおくれます」


このポジティブな言い方が好きだ。ディズニーランドに行って


「閉園時間は何時?」


と聞けば


「8時までやってます」(We are open till eight.)


というだろう?





さて、私がこのビデオを見たのと前後して、こんな記事を見つけた。



何事についても、僕が考えるときの軸はまず時間なんですね。いわば「唯時間論」。知的生産の工夫についても、全部時間を切り口に説明できます。自分の自由にできる時間をいかにたくさん生み出すか。そればかり考えている。


(中略)


僕は最近寿命が延びたような感じさえするんですよ。効率がよくなって時間がますます凝縮されたから、でしょうね。


グーグルに淘汰されない知的生産術より



子供が生まれてからというもの、私は10円単位でケチるようになった。朝コンビニでおにぎりを買うとき、125円という値札を見ると「これは高すぎないだろうか」と悩む。いつもは105円じゃないか、と。


そうやって10円に固執しながら、会社ではものすごい単位で時間を無駄に使っている。無駄と思える惨めな時期にもちゃんと学んだことはあるのさ、と強弁してみるし、そこにある程度の真実はあると信じているが、それでもやはり無駄が多すぎると思う。


仮に時間がリニアに経過しているとしても、おそらく私は人生の折り返し地点を過ぎていると思う。「将来」について考えることは「残り」について考えることになりつつあるのだ。


いや、そんなことがなくても今の「鱗がごっそり」をなんとか忘れないようにしたいと思う。金と時間は確かにある程度連動している。恒産なくして恒心なし(無恒産、因無恒心)、とは孟子が残した数少ない聞くべき言葉だ。


しかし恒産がある程度達成されていれば、財に執着するより、時間を自由に使う、そのことに執着するべきなのだ。


梅田氏が言うとおりだ。物理的な時間を延ばすことは誰にもできないが、人間が日々感じる時間というのは所詮主観的なもの。であれば、工夫によって伸ばしたり、縮めたりできるはずだ。


というわけで今朝は「迷わず」240円のおにぎりを買いました。さて、今日どうやって自由になる時間を作り出し、それをどうやって使おう。


最近やり始めたもうひとつの工夫については、また別の日に。