iPhoneをめぐるさまざまな評価
2008-06-06 00:00
日本導入が正式発表されたことで日本人がiPhoneについて語る言葉を多く目にするようになった。
知識の欠如による勘違いを除けば、「iPhone売れる」という意見も「iPhone売れない」という意見もそれぞれもっともだ。しかし昨日あることに気がついた。
「iPhone売れない」という意見は基本的にロジックで組み立てられている。Felica,モバゲー、ワンセグがない((iPhone発表当初には「絵文字がない」だったか))。日本にはもうLISMOがある。日本には携帯向けサイトが発達しているのでフルブラウザは不要。うん。確かにそうだ。
それに対して
「iPhone売れる」(あるいは「iPhone買いたい」)意見は感情の吐露である。端的に言えばiPhoneという製品に対する愛だ。それを端的にあらわしたのがこの文章
iPhoneって恋愛と同じで、要素要素にばらしてみるとそこまで強く購入を刺激するところってあんまりないんだよね。EMONSTERで済んじゃうんじゃないかってくらいに。でも総体としてみるとやっぱりiPhoneは魅力的なわけで、そんなところが恋愛に似ているのだ。
iPhoneは(あまり)売れないかもしれないという話 - Thirのはてな日記iPhoneは(あまり)売れないかもしれないという話 - Thirのはてな日記
じゃあiPhoneが「愛」を掻き立てるのlはなぜなのか?ということになるのだが、いまだかって「愛情」を論理的に説明できた人などいない。ただひとつ引用するならば
iPhoneの魅力は、コレなんだろうと思う。「これまでの携帯電話やブラックベリーでできていた」機能を並べると、一つ一つは見劣りするところもある。でも、忙しい朝食時、パソコンのないキッチンでもすぐに、はるかに遠い日本で少し前にはやった「ねこ鍋」を見つけて、キレイな画面で見ることができる。「わー、こんなことができるの!」という、自分の世界が一気にひろがったときのあのフシギな気分。iモードを初めて使ったとき、YouTubeを初めて見たとき、ブログを書き始めた頃などに感じた、あの「ひろがり感」「ワクワク感」なんだろうと思う。
「日本でのiPhone」に私が期待するもの - Tech Mom from Silicon Valley 「日本でのiPhone」に私が期待するもの - Tech Mom from Silicon Valley
この「わーこんなことができるの!」という感覚を体験することなしに説明することは難しい。「そんなことは今の日本の携帯でもうできている」という言葉はロジカルだし正しいからだ。
しかし多くの人が経験的に知っていると思うが、「愛」というものは「正しさ」とか「ロジック」とは無縁の存在だ。というわけで議論は感情と理論のすれ違いに終始する。
ここで建設的に考えるとすれば、なぜiPhoneは人々の「愛」を掻き立てるのか?どのようにすればそのような製品を作り上げることができるのかまじめに考えることではないか、と思うのだがあまりそうした観点の議論を見たことがない。しかしiPhoneを少し離れてみればどうだ?
「すべては“自分が楽しい”から始まるんですよ」 KISSA SPORTシューズの販売、KISSAブランド管理、そして、KISSAの革靴を愛用するファンのために修繕を請け負うキサの高田邦雄さんは、「どの靴も“喜佐の楽しい”が原点」と語る。
Business Media 誠:郷好文の“うふふ”マーケティング:私のマーケティング物語 (1/2)Business Media 誠:郷好文の“うふふ”マーケティング:私のマーケティング物語 (1/2)
作り上げる人間の目が「正しい愛情」*1できらきらと輝いていること。ばかげた話と思われるかもしれないが、それが本質的に重要なのではないかとまじめに考え始めている。「正しい愛情」は製品を、サービスを媒体として人々に伝播するのだ。
10年前の私がこんな文章を読めば「この○○」と言うところだが、今はまじめにそう考えている。