芸人

2008-08-11 00:00


赤塚不二夫が亡くなった。葬儀ではタモリが弔辞を述べた。



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この動画を見、そして弔辞の全文を読み「ああ、ここに芸人がいる」と思う。*1



あなたは今この会場のどこか片隅で、ちょっと高い所から、あぐらをかいて、ひじを付き、ニコニコと眺めていることでしょう。そして私に「おまえもお笑いやってるなら弔辞で笑わしてみろ」と言ってるに違いありません。

タモリの手には白紙…あふれる感謝そのままに(スポーツニッポン) - Yahoo!ニュース


これは彼の心からの言葉だと思う。しかし日本の葬儀でイグアナのまねをするわけにもいくまい。弔辞で芸を見せるためにはどうすればよいか。


その答えが「白紙を前に弔辞を”読む”こと」だった。真面目に心からの弔辞を読みながら、一味違うところをみせる。他人の顰蹙を買うこともなく、気がつく人には気が付いてもらう。見事だ。それがアドリブだか事前に暗記しておいた文章かなどとは問うべきところではない。


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彼が読み上げた言葉の中に、私が覚えておくべき言葉がある。


あなたの考えはすべての出来事、存在をあるがままに前向きに肯定し、受け入れることです。それによって人間は、重苦しい陰の世界から解放され、軽やかになり、また、時間は前後関係を断ち放たれて、その時、その場が異様に明るく感じられます。この考えをあなたは見事に一言で言い表しています。すなわち、「これでいいのだ」と。

タモリの手には白紙…あふれる感謝そのままに(スポーツニッポン) - Yahoo!ニュース


マルクス・アウレリウスは何度も「思考を現在だけに限れ」と言っている。言っているということは、彼にとってそれは難しいことだったということだ。


ここでタモリが述べているのも同じことだと思う。時間の前後関係を断ち放ち、その場、その時を前向きに、明るく生きるためにはどうすればよいか。「思考を現在だけに限る」ためには出来事、存在を前向きに肯定し、受け入れることだというのだ。


これもまた困難な事。しかし私はこう思いたい。タモリは赤塚氏への弔辞という形をとりながら、数多くの「参列者」に呼びかけているのだと。赤塚氏の生き方から彼が学んだことをTVや新聞を通じて読むであろう多くの人たちに伝えようとしているのだと。


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米国のドラマとか映画でよく見る葬儀では、故人の関係者が教会でスピーチをする。その時向く方向は、故人の遺影ではなく、参列者の方向である。


葬儀というものは、基本的に生きている人間のために行うものだと思っている。しんでしまったものは覆しようがない。しかし生きている人達が、故人をどのように記憶するか、思うかは変化しうる。そう考えれば、私にとっては米国式の葬儀のほうが好ましいもののように思える。




*1:「いい人なのに」参照