フェルメール展をやっているらしいのだが
2008-08-18 00:00
ハンニバルを読んで以来、フェルメールのミーハー(ひょっとしてこの言葉は死語だろうか)ファンである。
その展覧会が上野で行われているらしい。宣伝文句を借りれば
国内にいながら7点もの作品を一度に見られる展覧会は、おそらくこれが最初で最後と言われている。
【レポート】史上最大規模のフェルメール展--公開される作品全7点を一挙紹介 | ライフ | マイコミジャーナル
なのだそうだが。
しかし腰は上がらないままである。公開されている作品のうち、3点はすでに見たことがある。いや、それは理由ではない。よいものは何度でも見たい。
まったく素人の感想なのだが、今回の展覧会は「質より量」を重視したように思える。確かに枚数は多いのだが「どうしてもこれを見たい」を思えるものがない。
というか私が読んだ唯一のフェルメールに関する本では「フェルメールの作品とは思えない」とされているもの2枚を含んでいるのだ。
この本から得た知識だけで書くが、絵画の作者を「推定する」ことははかなり困難なものらしい。たしかに科学的な分析は有効だろう。しかしそれだけでは決められない作品も多く存在する。
というかかつて「フルートを持つ女」がフェルメール作とされていたというのは素人目には理解がしがたい。
フルートを持つ女
この作品を見たとき、そのあまりに粗雑な描き方に唖然とした。しかしどういう理由*1からかこの作品は一時フェルメール作とされていたのである。
さて、今回展示される作品中の「ヴァージナルの前に座る若い女」である。
ヴァージナルの前に座る若い女
前掲の本では「フェルメールのどの時代の描き方にも合致しない。18世紀ごろの作品ではないか」とされている。
展覧会の説明を読めば、使われている顔料の種類、あるいは手法がフェルメールのものと完全に一致することからフェルメール作とされているとのことである。*2いわば科学的に検証された状況証拠から、作者を推定しているわけだ。
しかし前掲本で挙げられている疑問は私の中で消えない。フルートを持つ女ほどではないが、他のフェルメール作品と作風が異なるように思うのだ。フェルメールの弟子が師匠と同じ材料を用いて描いたといわれれば納得する気にもなるが。
同じ画家が違うタッチの絵を描こうとして、何が変わり何が変わらないままなのか。などと考えていくと、「絵画の作者を推定する」という道にもいろいろ興味深い話があるのだろうな、、と興味をもちはじめているところである。