予測について

2008-09-04 00:00



ごく短期についてはともかく、「将来は予測できる」などという妄想にいまだにとらわれている人がいたら、昨日の新聞に載ったニュースを見せて、10年くらい前にどれを予測できたか尋ねてみるがよい。


マネジメント ピータードラッカー著より



前の会社で働いていた時、次の研究テーマを決めるため、10-15年先の将来を予測しようなどという試みがあった。↑で引用したのとほぼ同じことを言ったのだが、軽く無視された。


ここで言いたいのは


ドラッカーがこのように述べたのは1970年代である。たぶん探せば同じことを主張した人はもっと前にもいるのだと思う。アランケイが言った


"The best way to predict future is to invent it."


という言葉は、ドラッカーの「事業戦略」に関する言葉と奇妙なほど一致している。未来を予測するのは、暇つぶし以上の意味を持たない。発明するか、あるいは事業によって影響を与えるか。いずれにせよ自ら作っていくしかないものだ。


にもかかわらず、未だに「将来を予測して、計画を立てよう」などという愚かな試みは後を絶たないこれはなぜだろう?



一番大きな理由として考えられるのは、将来になったとき、誰も数年前にやった予測なんか覚えていない、ということではなかろうか。



嘘だと思うなら、3か月前、気象庁が夏の天候についてなんと言っていたか思い出してみればよい。誰か検索せずにソラで言えます?おまけにそれについて気象庁に文句を言おうなどとは誰も考えないでしょ?だいたい暑いし。そんなことやってらんないし。


遠い昔のことだが、「ソ連」の脅威について、2005年、2015年にはこうなるに違いない、という予測を見たことがある。その予測がなされてから数年で「ソ連」は存在しなくなり、その脅威予想は紙くずと化した。


でもその頃にはもう次の仕事が始まっていたから誰もそんなことは気にしなかった。


これらの例に示されるとおり「将来の予測」は役に立たないが、多くの場合害もなく、そして誰もそのことを覚えていない。その割には、やっている間は「理論整然と解析をしている」印象を与えられる、という点で重宝するのではなかろうか。



というわけで



「未来予測アナリスト」と名乗り商売にできないか、、と3秒くらい考えた。でもなあ予測だけしていてもつまんない。今ある線を延長して金をもらっている人を失業させるくらい、違う線を書くほうがずっと面白い、、と5秒くらい考えた。


今日はオチはありません。