酔ったサラリーマンのくだまき

2008-09-22 00:00


酒の席とか、あるいは夜遅い時間の電車とか。とにかくサラリーマンのくだまきを聞かされる機会には事欠かない。


そこでよく聞くパターンとして


「俺はね、今度絶対言ってやるよ」


とか


「俺はね、言ってやったよ」


というのがある。


私が思うにこの二つは等価だと思う。「言ってやった」と本人が言っている内容は、たぶん相手に伝わっていない。というか本人以外の誰もそれを言ったと思っていないだろう。



関係ない第3者に「俺は言う」と宣言を繰り返すくらいなら、さっさといえばよいのに、などと過去の私のようなことを考えるのも「優しさ」にかける。



サラリーマンにとって「言ってやる」ことはとても難しい。特にがっちりした組織の中では何も聞かず、何も言わないのが一番だ。どう考えても船は滝にむかってまっしぐら、という状況でも最初に声を上げては立派なサラリーマンとは言えない。上司が「この船は滝に向ってるじゃないか!なぜ誰も気がつかない!」と怒鳴られてから「いや、これはさすが上司様。気がつきませんでした(お前以外はみんな知ってたんだよ」といい、そこで初めて舵をきることが許される。


そう思えば、せめて酒に酔った時くらい「言ってやるよ」と言わせてあげようではないか。


以前mixiに書いたことだが、そういう意味からするとガリレオはとても立派なサラリーマンとは呼べない。真実とは会社が、組織が決めることであり「地球の方が動いてるんじゃないっすか?」などと声を上げるなどというのはサラリーマンの風上にもおけない不埒なふるまいだ*1。いいんだよ、えらい人が「星星が地球の周りをめぐっている」と言ってるんだからさ。あんた何がしたいわけ?ちょっとくらいモデルが単純になってそれであんたの給料あがるの?




*1:ガリレオがサラリーマンだったかどうかなどこの厳粛な事実の前では些細なこと。