「虎になること」を超えて
2008-11-14 00:00
おそらく多くの人(とはいっても数十人か)が同じことをしたと思うのだが、「親友が虎になってた。別れたい…」を読み、
「そういえば」
と原文、山月記を読む。
そして何人かは私と同じくこのフレーズに目をとめたと思うのだ。
臆病な自尊心と、尊大な羞恥心
(中略)
人生は何事をも為(な)さぬには余りに長いが、何事かを為すには余りに短いなどと口先ばかりの警句を弄(ろう)しながら、事実は、才能の不足を暴露(ばくろ)するかも知れないとの卑怯(ひきょう)な危惧(きぐ)と、刻苦を厭(いと)う怠惰とが己の凡(すべ)てだったのだ。
中島敦 山月記
思えば私もこの両者の間でうろうろしてばかりいるようなものだ。そして「解」をみつけた、と思っては大変後悔する。
しかし
年をとるということは、残りの年数の少なさを自ら悟ることでもある。そして鈍感になり無神経になるということでもある。
姜尚中氏がTVで語っていたのだが、人間そうした悩みや矛盾が極限にたっすると我儘になる、と。我儘になると羞恥心は減り、自尊心が表にでてくる。
かくして虎は虎の姿のまま詩歌を書き散らし、弓矢を向けられても止めないのであった。どうせ先の短い身だ。日は暮れて道は遠い。であれば、好きなことをしよう、と。
はて、何をかいているのだっけ。