Q:がリビングに設置されてから箱に戻るまでの短い話
2008-11-10 00:00
前回までのあらすじ:能天気に「これすごく音がいいんだよ」という夫に対し、妻は「こんなものどこに置くの。部屋を片付けなさい」と激怒する。怒られた夫は泣きながら思い出の品を捨て部屋をきれいにする。そしてこっそり部屋にQ:を設置しその音の力に感嘆する。しかし当初の目的だった「リビングに設置して家族でよい音を楽しむ」という目的はまだ達成されていない。
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金曜日家族でご飯を食べる。子供がなかなか食べないとき奥さまは機嫌が悪い。Q:をリビングに設置することについて許可を得たいが、今は黙っている方がよさそうだ。
あけて翌朝。子供たちは結構快調に朝食を食べる。チャンスは未だ「あのー。スピーカーをTVのところにおいてもいいでしょうか」と聞く。一瞬奥さまの動きが止まる。まずい
「いや、すぐ片付けますから」
という。奥さまは「いいわよ」と許可をする。やれ、これでとにかく少しの間はリビングで聞くことができそうだ。
とはいってもすぐに置くわけにはいかない。午前中は子供たちを連れて外にいく。奥さまは部屋を掃除したいのだ。掃除の前に設置など危険すぎる。
というわけで数時間後子供たちをつれて家に戻る。昼御飯を食べるとさっそくごそごそやりだす。
例によって設置は簡単である。TVの上にトップスピーカーをのせ、TVの前に台形のスピーカ。サブウーハーはちょっと邪魔なところに置くしかないが、いつまでもおいておくわけではないから怒られないだろう。幸い今日は天気が悪い。奥さまは洗濯物を干すときには必ず蹴飛ばされる位置だが、今日は部屋に干すしかない。
DVD/CDプレーヤーと光ケーブルで接続してさあできあがり。まず見るのはリバーダンスのDVDである。
私が買ったのはこれより前のバージョンだが、そんなことは関係ない。映像を流し始めると奥さまがちらっとそちらを見る。それくらい音の迫力が違う。子供たちもじっと見ている。前に私のPCでこれを流したときは全然みようとしなかったが。
やはり低音の響きがすばらしいと音に力がでる。その次にはブラームスの交響曲第一番を聞く。自分の部屋で聞いた時もよかったが、こうして広々としたリビングで聞くとまた違ったよさがある。そのあと何曲かCDを聞いたのだが、奥さまとぽつぽつ会話をかわす。「」内が奥さまの発言である。
「小さいわね。ふたつなくていいの?」→なんだか知らないけど、これでちゃんと聞こえるんだよ。
「これいくら?」→定価88000円。しかしレポート書くと半額になるんだ。(たかいですか?たかいですか?)
「安いんじゃない」→(をを、と心の中で感動するが表にはださない)
「これどこにおくつもり?」→場所さえあればリビングに置きたいんだけど、今場所ないから自分のところに置こうと思うんだ。色は白と黒でどっちがいい?
「白」→(おお、発言が前向きだぞ、と感動するがやっぱり表にはださない)
「ちょっとBOSEのCDプレーヤーと聞き比べてみる」→このあと奥様から発言はなかったが、Q:にしたままで聞き続けたということは気に入っていただけたということなのでしょう。
「音の広がりが違うわね」
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映画Amadeus のMakingを見る。本篇は最初に見たときあまりに感動してしまったので、なかなかもう一度見る気にならないのだ。会話が多いが、時々流れる音楽の迫力には驚く。
いろいろな曲を聴きながら考える。今まで「音は情報を伝えればよい」と思っていた。TVの音声を消すと何をやっているかわからないよね。だからスピーカーが必要、というわけである。
しかし今回Q:を使ってみてそれは話の半分以下であるということに(今更ながら)気がついた。音は単なる情報伝達手段ではない。いや、広い意味でいえばそうなのだが、Q:は感動やリアリティまでも伝えてくる。それを通して聞く音とというのは今まで自分が体験したことのないものだったのだ。
などとあれこれ考えている間、奥さまは特にQ:の撤去について言及しない。しめしめ。このままで行けば、返すまでリビングでこの音を楽しむことができるだろうか。などと考えていた私はやはり愚かだった。
日曜日の夕方、夕食を食べていると奥さまがこう言う。
「ところであれあのまま置いておくの?ケーブルが増えるから埃がたまるんだけど」
私は即座に答える。
「いえ、すぐ撤去します」
そして即座に解体、箱詰めを始める。理論的にはまた自分の部屋に設置してもいいのだが、また私の部屋を掃除するときに呪いの言葉を吐かれても困る。奥さまは何もなくなったTVまわりをみてご機嫌そうだ。
私は開梱時の写真を見ながら、Q:を箱に詰める。一週間にも満たない間だったけど楽しかったよ。明日からまた980円の外付けスピーカーの音に逆戻りか。今度白を購入したら、自分でこまめに掃除するようにしよう。そうすればきっとすてられない、、かな?
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などと悲喜がいりまじってはいたが、「よい音を聞く」という体験は私にとって斬新なものだった。オーケストラの演奏を聞くと、それぞれの楽器から音がでる場所が聞き分けられるような気がする。なによりも、自分がひたすら音楽をスピーカーで聞くようになったのは驚きだった。これまでは音楽を聞くといえば、iPodかその類をイヤホンで聞く、と決めつけていたのだが。
というわけで私は乏しい小遣いをはたいて白いQ:を買うことになるのだろう。それがどのような運命をたどるか私にはわからないが、部屋をこれまで以上にきれいにする必要があることだけは間違いない。