映画評:地球が静止する日

2008-12-22 07:12

というわけで本家から改変しつつ転載

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Los Angelsが舞台、出演者は白人ばかりだが、実は韓国製の映画が公開されたと聞いた。

観ている間ある疑問が頭をよぎる。実はこの映画も日本製ではないか?過去の名作に今の”スター”を出演させ、ちょっと最近風のテーマ(地球に優しく)を取り入れればヒットするに違いない、というのは最近の日本の十八番ではないか。

ジェニファー・コネリー演じる科学者は

”訳は後で。車にのって”

とどこかに連れて行かれる。なんでも隕石が地球に衝突するのだそうな。78分後に。いや、そんなこと一時間前に言われても。

彼女と同じように集められた科学者達はヘリコプターに乗りこむ。さあ衝突だ。ところがいつまでも地球はふっとばない。どうしたんだろう、と外を見てみる。ってなんでわざわざ衝突地点の近くを飛んでる訳?変な玉だったからよかったようなものの、隕石だったらせっかく集めた科学者が、何もしないうちに一瞬で全滅じゃない。この瞬間

”時間と金を無駄にしたか”

と後悔の念が走る。

万事この調子でお話が進む。現れては無駄に消える脇役がやたらとでてくる。一番悲惨かつ無意味な最後を遂げたのは、科学者を集める責任者のような人。国防長官は予告編で顔だけ観ていたが、ただのおばさんにしか見えない。どうしたベイツ。無人機で攻撃をかける米軍の指揮官を観て”復活の日”の偉い軍人を思い出した。

いやまあそれだけだったら”ただのつまらない映画”ですんだのだろうけど、ジェニファー・コネリーの子供(正確に言えば彼女は継母だが)を観ていると実にイライラする。二言めにはお父さんなら異星人と戦う、と繰り返す。かと思うといきなり態度を180度変え異星人ことキアヌに頼りだす。こうやって文字にすると子供らしい行動とも言えるのだが、画面からはそうした

”子供故の浅はかさ、不安定さ、かわいさ”

が微塵も感じられない。調べればウィル・スミスの子供だとか。親の自信過剰なところだけを受け継いだか。”役者の子供”を重要な役で出すな。”役者”を使えよ。

このように”素人”をやたらと使いたがるのも日本的ではないか。やっぱり裏には日本人スタッフが。。ああ、もうどうでもいいけど終わってくれないかなと思ったあたりで映画は平和な結末を迎える。エンドロールが始まるとともにほとんどの人が席を立ちだしたのには驚いた。

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いや、ものすごい映画であった。しかし宣伝をうまくすれば結構な人がはいるのだろうな。

何度も疑問に思うことだが、興行収入と映画のできにはどのような関係があるのだろうか。口コミで悪い噂が広まる前に、人を劇場に集めてしまえば勝ちではないか。そもそもよっぽどひどい映画でない限り、映画に興味を持っている人以外に口コミの噂が届くこともないだろうし。

しかし数10年前に比べれば事態は好転しているともいえる。当時はマスメディアの記事がすべてで、民はお互いにしゃべる手だてを持たなかったのだ。どんなひどい映画であっても、メディアに手を回し、絶賛記事を書かせれば、人々は映画館に向かったのだ。