UsabilityとEmotional Designの間にあるもの
2008-12-24 08:09
Usabilityという言葉がある。きっと難しい定義があるのだろうが、"Usabilityを改善する”を私なりに要約すると
”使いにくい点を直す”
となる。
さて、もうひとつ取り上げたい言葉はEmotional Designである。これがほしい、これが使いたいと思わせるもの。
さて、
この"Usabilityの改善”とEmotional Designにどのような関係があるかといえば、実はあまりないのではないかと考えている。
Usabilityが悪い製品は、”多くの場合”使っていて楽しくない。不愉快な思いをする、ということは確かだ。
しかし”Usabilityを改善すればEmotional Designにつながる”かといえばこれは間違っている。
ひとつ極端な例をあげよう。ある高級旅館に泊まったときのことである。夕食後に”明日の朝食にオレンジジュースか、おいしいヨーグルトかどちらになさいますか?”と聞かれた。
そのあと”おいしいヨーグルトがいかにすばらしいものか”という話を聞いた。迷わず”ヨーグルト”と答える。
さて次の朝である。でてきたのはオレンジジュースだった。
あれ?ヨーグルトたのまなかったっけ?と思いながらオレンジジューズを飲んだ。まあこちらもおいしい。
その15分後”申し訳ありません”という言葉とともにヨーグルトが運ばれてきた。
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行動の正確性ということから考えれば、この接客の精度は0である。
しかし後で話してわかったことだが、この時泊まった3人のうち誰一人として、このエピソードを不愉快なものとは受け取っていなかった。それどころか多いに楽しいエピソードとしてとらえていたのである。(もちろんタダで両方飲むことができた、というのもあるのだが)
かくの通り人間のEmotionというのは一筋縄ではいかない。それは未だに”Emotionを揺さぶる専門家である”芸術家と科学者が接近できていないことからも明らかである。
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最近仕事でケータイを使うことが多い。ちなみに私はこの年までケータイを持たずに過ごしている。今使っているのは会社支給のiPhoneだ。
ケータイを使っていると、”Usability改善”の限界を思い知らされるのだ。各社(私からすれば)ものすごい労力をそれぞれの機種のUsability改善につぎ込んでいるのだろう。そしてスペックを調べれば、画面解像度とか、カメラの性能とかものすごいことがわかる。
しかしそれらを使った後に、iPhoneを使うとその差異に愕然とする。それは初代Macintoshを見たときの衝撃に似ている。
仕事でケータイの話がでるたび”iPhoneはたいしたことない”という意見を耳にする。しかしたいてい”iPhoneよりいいものを作りたい”と続くのは興味深い。
ケータイのUsabilityをいくら改善したところで、iPhoneを作ることはできない。
”Usability改善”と"Emotional Design"はまったく別のゲームである、と最近は考えている。