学校の成績はよかったのだが

2009-01-19 07:30

今は自慢がこれくらいしかないが、私は高校のころまでの成績は確かによかった。

しかし最近”やはり俺はどこかおかしい”と思うことが多い。
先日見つけたこの記事を読んでその感を新たにした。

仕事においては、頭のよさというのは、つまり「システムを把握する能力」と断言してよいのではないか、と考えるようになった。システムとは、つまり因果関係であり、構造だ。対象が、目に見えない、手にも触れないものの場合は、そうしたものを頭のなかで展開させる能力でもある。

 そして、システムを万全に把握したうえで、新たに自分自身でシステムを作り出せる人間が、いちばん強い。

 まあ、こう言うと、古典的な守破離ってな話になるわけなんだけど、まあそれはそのとおり。必要なのは「守るべきこと」というのが単なるシステムであり、現実にあわせて柔軟に変化させなければならないのだ、つまりシステムが「なんのために」存在しているのかを理解できること。システムを把握するということは、すべてのシステムはなんらかのシステムのメタであり、この世界は(とりあえずは)メタの網の目でできていることを理解することだ。

「頭のよさ」をコンビニの現場から考える - G.A.W.より引用】

私の問題点はこの”メタ”な視点を見失いがいなところにある。
金を持っている人間が、自分の過去ばかり語り新しいものは勉強も理解もせず、自分に媚びるか否かだけで成績をつけていたとしよう。

そこに正面から立ち向かっても無駄なのだ。その人間は金を持っており、システムの正面上は立ち向かっても勝ち目はない。

しかし、そうだからといってフラストレーションや絶望感を感じる必要はないのだ。

”システムを把握”すれば、そこからメタな視点を持たなければならない。そうすればそうした状況下でもっと上手にふるまうことができたはずだ。

この文章を読んでいて、姉が学生時代に経験したカラオケ映像撮影のバイトの話を思い出した。

姉はもちろんただの女子大生だから、チョイ役である。本物の女優はちゃんとおり、その人といろいろお話したのだそうな。

女子大生な数人。女優は一人だが、会話において圧倒されっぱなしだったそうな。そして監督に”あたし言ってやろうと思ってるのね”という。

じゃあいざ監督とあうとどうなるか。ちゃんと礼儀正しく、節度を守りながらも、先ほど”言ってやる”といったことはちゃんと伝えていたそうだ。姉はその姿に強い印象を受けたという。

監督-女優というシステムをきちんと理解した上で、それをメタな視点からとらえる。そうすれば、それが人間としての上下とかそんなこととは何の関係もないことがわかるだろう。

女優はそこをきちんと理解した上で、仕事をし、自分をきちんと主張していたのではなかろうか、と今ならそう思える。

私はそうした知恵が確かに欠けている。なにまだ遅くはない。今からでもなんとかしようとせねばならぬ。子供にいつもそう言っているしね。