呪いの質問
2009-01-30 07:59
はいくつか存在すると思っている。昨日でくわしたのはこれだ。
私が、13歳のときに宗教のすばらしい先生がいた。教室の中を歩きながら、「何によって憶えられたいかね」と聞いた。誰も答えられなかった。先生は笑いながらこういった。「今答えられるとは思わない。でも、50歳になっても答えられなければ、人生を無駄にしたことになるよ」
http://www.future-planning.net/x/modules/news/article.php?storyid=3713
50という年齢はもう目の前だ。私が今死んだら何によって憶えられるのだろうか。私は何によって憶えられたいのか。
なんだかわからないが、つい使ってしまう物を作る人だった。妙なんだが、つい聞いてしまう意見を言う人だったとして憶えられたい。
、と反射的に考えた。
でもって
「決定を下すにあたって、重要なのは分析ではなく、勇気である。」
なのだそうな。
自分が過去に下した決定を顧みると、そのほとんどが予想と異なる結果に終わったことに気が付く。つまり私の予想はほとんどあたらないのだ。
おまけに”直観に従う”というのもさっぱり当てにならない。直観に論理で逆らって失敗し、直観に従って失敗する。直観に逆らったがいやいや下した判断が後で思わぬ成功に結びつくこともある。
というわけで、何ら法則性を見出せないまま、また月が変わるのであった。はて、何を言っているのやら。