プレゼンテーションについて
2009-02-02 07:23
そういえば人前でプレゼンする機会がないな。。
さて、先日見つけたのが以下の記事である。
1. 「しゃべりはプレゼン資料と一致させる」と固く誓う
2. 「プレゼン資料は事前に配り、出し惜しみしない」と固く誓う
私が考えるプレゼンを良いものにする「6つの誓い」
http://d.hatena.ne.jp/shinwada/20090131
筆者の主張は理解できる。しかし必ずしも同意はできない。
上記二項目を忠実に実践したとしよう。すると事前にくらばれた資料を、そのまま読めばプレゼンを聞く必要がなくなってしまう。(しゃべる内容とプレゼン資料は一致しているのだから)しかも人間は聞き取るよりずっと早く読むことができる。
つまりここで筆者が主張している方法を実践すると、聞いている方は配られて資料をあっというまに読んでしまい、あとは同じ内容の繰り返しを延々聞かされる羽目に陥るのだ。
そもそもプレゼンの目的は何か?同じ記事の下の方にはこのような記述がある
かっこよくて、斬新で、新しい。そんな必要は全くありません。プレゼンの目的「何かを伝える」は絶対忘れずに、プレゼンのテクニックはその「手段」であって、テクニックを磨くこと自体が「目的」とならないよう、気をつけましょう。私自身も。。
プレゼンの目的が”何かを伝える”であれば確かにこれでよい。
しかし、なぜわざわざ時間をとってもらい、人前でしゃべるのか?この記事の筆者はそこを全く考えていない。
なぜそんなことをするのか?ひとつは”自分”が主張しているのだ、と分かってもらうこと。つまり紙だけではわからない、主張している自分を知ってもらうこと。
もうひとつは、インパクトだ。これがなければ、プレゼンの意味がない。資料をメールで送付する方がずっと親切だと思う。
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思うにプレゼン資料というのは、以下の二つの目的があいまいなまま共存しているのではないかと思う。
・説明資料
・プレゼンを行うための舞台道具
上記に引用した筆者は”説明資料”という観点からしかものを書いていない。
”舞台道具”をつきつめていくと、Jobsのプレゼン資料になる。もちろん仕事によっては、説明資料たるべし、という主張もわかるのだが。