映画評:マンマ・ミーア
2009-02-06 07:00
疲れがたまった金曜日は本家から改変しつつ転載。
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大ヒットしたミュージカルの映画化。女性3人が怪しげ、かつ大げさな衣装で踊っている宣伝の写真は確かに見た事がある。
ギリシャのある島でホテルを営んでいるのがメリルストリープ。その娘が結婚するのだが、父親が誰だかわからない。母の日記を見つけて候補となる3人を呼び寄せ、あれやこれやの大騒ぎがおこる。
いつものことながらミュージカルの映画化は難しい物だと思う。例によって頭の中で”これは舞台だとどのような演出なのだろうか”と想像しながら時間をつぶす。私はABBAのヒット曲が流れれば涙する世代の筈なのだが。
主人公の娘がどうにもチャーミングではない。やたらと目がでかいのだが、ただそれだけである。母と娘がそれぞれ3人組でキャーキャー言うところは、日本人の男性である私にはとてもついていけない。
というか全般的に暑苦しく、無駄な詳細が見えてしまっている気がする。舞台から遠い客席から、かつ現実とは異なるセットで見せていればそれほど気にならないのかもしれないが。。父親候補の3人には私でも知っている有名どころをずらっとそろえた。今の時代だからみんな音程とテンポ正しく歌いまくる。(なんとでも修正できるからね)しかし感動を呼ぶ歌を期待するのは望み過ぎ。特にクライマックスの歌で退屈してしまうのはいかにももったいない。
かように今ひとつな映画なのだが、一カ所だけ鳥肌が立った。代表曲Dancing Queenが流れる場面だ。いや、その場面自体がどうのこうのと言うのではない。私は初めて歌詞をまともに聞き、その意味について考えたのだ。もっと言えばそれに意味がないことについて思いを巡らせたのだ。何の理屈もなく、Dancing Queenとして踊る。確かにそれは17歳の特権かもしれない。
そこに個人的に感動はした。しかしDancing Queenがなければ(この映画でそれはあり得ない事だが)この映画の評価はもうワンランク下る。
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ミュージカルを映画化した作品を見るたび、演出方法の差異について考える。
舞台の人たちは表情を非常に大きく作る必要があると思う。あまり繊細な表情は見えないからだ。対して映画は大写し。
舞台のセットはあくまでも観客の想像力の方に重点がある。対して映画のセットは基本的にリアル。
アマデウスも舞台の映画化なのだが、舞台の脚本家?と映画の監督の間で大ゲンカしながら脚本を練り上げたとか。それくらいしなくちゃだめだと思うのだよね。