ビジョンの恐るべき威力

2009-03-13 07:13

昨日こんなブログを見つけた。

俺、この「ぐらんぱるぽーと」を動かしてる原動力がなんなのか、ずっと車のなかで考えてた。で、これは憶測。あくまで憶測。これ、どこかにきっと「無私の人」がいると思うのね。その無私の人の原動力は「伊豆を再生したい」だと思うの。伊豆に観光客を呼ぼう、魅力的な場所にしよう。そして、そうした無私の人の努力のあとに、人ってようやくついてくる。つまんない話なんだけど、そういう結論にしか、ならなかった。
http://d.hatena.ne.jp/nakamurabashi/20090312/1236816203

私が知っている別の言葉でいえば、ここで存在が予想されている”無私の人”にはビジョンがある。自分が利益を得たい、ではなく伊豆がこうなってほしい、という明確なビジョンが。

この”ビジョン”というのは具体的な”こうなってほしい”という姿なのだが、たいていの人がこれを持っていない。あるいは持っていたとしても”自分がえらくなりたい””自分が利益を得たい”というものである。そんなものには誰も関心を払わない。

そして時々ではあるが、個人の欲望を超えたビジョンを持っている人がいると、↑のブログに引用したように恐るべき事態が起こる。

なぜ私がここで”恐るべき”と書いたかといえば、そのビジョンが間違っていても、人をひきずってしまう力があるからだ。

たとえばヒトラーを思い起こそう。彼の私生活が大変質素なものであったことはよく知られている。そして彼にはビジョンがあった。それに人々が同調してしまった結果は今日誰もが知っている。

最近の例をあげれば、小泉首相にはビジョンがあった。郵政民営化というやつだ。それが本当に意味のあることなのかどうかは誰も知らないまま、その熱意にひきずられ自民党は大勝した。彼自身は民営化された郵政の総裁に収まろうなどとは考えもせず引退を表明した。

かくのとおり無私のビジョンというものは、強力であり、恐ろしいものである。最近なにかと話題の小沢君は

”政権交代をすれば君も女の子にモテモテ”

と連呼することで、そのビジョンを実現しかけた。何一つ建設的なことをしない民主党の支持率がどんどん上がっていく様は、一種恐怖を催させるものであった。

しかし彼の場合はたしてそれが無私のビジョンなのか、否かがよくわからない。結果として人々を巻き込む力もいま一つのようだ。しかしこの先がどうなるかはよくわからない。