iidaに感じる違和感について

2009-04-13 07:37

KDDIが携帯電話の新ブランドiidaを発表した。

ちなみに私は初代Infobarの愛用者であった。というかあの時他の携帯電話は全く視野に入っていなかった。持つならこれ。

それから月日は流れいく星霜。今度のiidaには何かしら違和感を感じていた。

たとえばiPhoneと比較してみよう。今度のiidaは基本的に外側のデザインだけを対象としている。しかしiPhone発表以来、ようやく画面の中のデザインこそがメインである、と認識されたと期待したいたのだが。

またiidaではやたらとデザイナーの経歴やら顔やらが表にでてきている。iPhoneではiveしかでてこない。とにかく、主役であるべき携帯電話以外のノイズが多すぎる。

そんな言葉を並べていたが、どうもすっきりしない。しかし先日読んだ二つのブログがヒントを与えてくれた。


先日、若いデザイナーが、もう携帯のデザインはいいという。本当に欲する人のために、じっくりと時間をかけたものづくりをしたいのだそうだ。純増数が低迷している某キャリアのデザインブランド戦略も何か物悲しい。

http://isoamu.exblog.jp/10780017/

この文章では、auと言っていないが、当方は勝手にそう解釈しておく。

新自由主義経済って明らかに間違いだったけど、でもだからってバラ撒き行政のぬるま湯国家に戻ればいいってわけじゃないだろ、って最近打ち出される経済政策を見ていて思う。 麻生政権の経済政策はバラ撒きじゃない、って反論もあるし、それも正論だ。 (中略) でもな、手段があっても生きる目的がなければ、なんにもならないのよ。

http://d.hatena.ne.jp/RRD/20090410/p1

この二つの文章から私が何を考えたか。


こう断言しよう。


”iidaはKDDIのビジョンなきバラ撒き政策だ”


iidaがどこに向かおうとしているのか、何を目指しているのか、それが全く伝わってこない。示されるのは”とにかくがんばりました”というバラ撒き金額の大きさだけだ。

それが端的に表れているのは、この記事だと思う。

「私はiidaのケイタイ電話を心から愛している」――世界のクサマが紡いだ“iida Art Editions” KDDIはauケータイの新ブランド「iida」誕生を祝うパーティーを開催した。会場には多数の芸能人らが招待されたほか、「Art Editions YAYOI KUSAMA」を手がけた前衛芸術家の草間彌生氏も出席した。 http://plusd.itmedia.co.jp/mobile/articles/0904/10/news097.html

芸能人あり、ドリンク、料理あり、ステージイベントあり。それで何が言いたいのかさっぱりわからない。何が目的なのか?どこへ行こうとしているのか?

しかしこういうパーティーやって何とも思わないのかな。