記憶というものに関して

2009-04-16 06:56

前の会社にいるときはいろいろ勉強する余地があった。(精神的な意味でね)そこで記憶というものについてあれこれ本を読んだ。

わかったことは記憶について人間は何も知らない、ということだった。なんとか記憶、なんとか記憶とあたかも確立されたかのように書いている文章を読むと読み飛ばすようになった。

昨日こんな文章を見つけた。

刺激や暗示によって正しい記憶を呼び覚まそうとする試みは、すべて徒労に終わった。あとから塗り重ねられた記憶を取り払うことに成功した例は一つもなかった。最初の調査の回答を見せられると、被験者は全員、「そんなことを私が言ったとおっしゃるんですか」とあっけにとられたという。なかには、「それでも、私の記憶に間違いはありません」と言い張る人もいた。自分の記憶に対する被験者の自信度は、記憶の正しさとは何の関係もなかった。

http://clip.livedoor.com/page/http://kaoriha.org/nikki/archives/000619.html

確か欧米の例で、自分が幼少のころ両親から虐待を受けた、と訴えたがそれが偽りの記憶だった例があったように思う。

”この人痴漢です”

と自信満々に一貫して証言すれば誰の一生でも破滅させることができる。しかしその一貫性、自信満々の態度はこの研究結果からすればまったく意味がないことになる。

今では人間が記録をあちこちに残しているから、少なくとも”その記録がなされた”ことだけは確かめることができる。しかしその背後に何があったかは誰にもわからない。

であれば

とりあえずいいことを考えよう。要するに過去の体験、とか記憶とかは思い込みの産物なのだから、あれこれくよくよするより

”バラ色の過去”

とすりかえてしまったほうが人間幸せではないかと思うのだ。”バラ色”の過去ってなんだか暑苦しそうだが。