音楽会議4にいってきたよ
2009-05-31 08:06
というわけで音楽会議4に行ってきた。
受付で自分の名前を言うと、マスクと百式飴がもらえる。マスク?と思ったがちょっと前までインフルエンザで大騒ぎなのだった。理論的に考えればこの時期何かの集会を開くといえばマスクというは理解できるが、着用しよとは夢にも思わない。
席につくとしばし待つ。ここからの正式な進行は、多分他の方が詳細にレポートすると思うので、私は私が感じ、考えたことだけを書く。
ヤマハの半導体事業部の方が、問題提起をする。携帯電話にはものすごいシンセサイザー(チップ)が搭載されている。今はこれを着メロにしか使っていないのだが、もっと使い道はないだろうか?
そこからいろいろなデモが始まる。携帯電話を楽器にして、いろいろな音楽を奏でるというやつだ。最初に演奏されたはガッチャマンのテーマ。いや、私はこれを聞いて歓喜なのだけど、会場を埋め尽くした"平成そだち"の方々わかるのだろうか。
この
"選曲が古い"
という言葉はこの後何度も私の頭の中を駆け巡ることになる。
それからいろいろな"楽器"のデモが行われる。さすが楽器メーカーの作品だけあり、テンポのずれがほとんどない。作ってみればわかるが"ほにゃーん"と作れると入力と音の時間差が耐えきれないほど大きくなる。そこは完全にクリアしているようだ。
最後にデモをしてくれた人総出で"天国への階段"-Stairway to Heavenを演奏する。いや、名演奏だと思うのだよ。でもこれも"古い"のではなかろうか。同じ70年代ロックをやるなら、Highway starでソロを弾きまくるとか、、いやそれは本題ではない。
そのあと休憩時間をはさみ、アイディア出しの時間になる。ここでは私のアイディアを記憶+改変で記述しておく。
昨今ネット上でのコミュニケーションは異常な発達をみせた。しかし結局のところそれは個々人が書いた言葉でコミュニケーションしているにすぎない。
人と人とのコミュニケーションとはそうしたものであろうか?その人が語る言葉だけがその人だろうか?そんなことはない。
というわけで、
まずその人の生活パターン(ここは自分で作る訳ではないので、思いっきり簡単にできることにしておく)を携帯で把握し、そこからメロディーを作る。
規則正しい人、不規則な人、携帯の電池切れをよく起こす人、メールをしょっちゅううっている人、誰からもメールが来ない人
それぞれに応じたメロディを作るのだ。ここが難しいところでこのメロディには以下の性質が必要となる。
- そのメロディを聞いた人が"なんとなく"雰囲気を感じられるようでなくてはならない
- しかしメロディからその人の隠しておきたい情報が察しられるようではいけない。
- またバーナム効果を持つメロディでなくてはならない。勘違いだとしても、聞いた人が"あるある"と共感を持つようでなくてはならんのだ。
次に通りすがりの人とこのメロディをシェアできるようにする。どっかのZuneのようだが、似ているのは仕組みだけだ。
ライラの冒険、という映画では人間はみな自分の分身となる動物、ダイモンをつれているという設定だった。この仕組みにより携帯は自分のダイモンとなるのだ。
例えば近寄りがたい、ちょっと冷たいと感じている人のダイモンを聞き、それがとても暖かく平和なメロディだったことを知りちょっと驚くなんてことがあるかもしれない。
あるいは(それこそ音楽会議のように)知らないもの同士が集まった時、自分のメロディと同じメロディを発見して会話のきっかけとできるかもしれない。
あるいは道路にでているカフェにすわって、ただ道を通る人のメロディに耳を傾ける、ということも楽しいかもしれない。巣鴨と青山ではそりゃ流れるメロディが違うだろう。
人間というのは、自分を知ってもらいたいという希望と、拒絶されるのではないかという恐怖の間で常に揺れ動いている存在だ、とどこかで読んだような気がする。
この"ダイモン"は抽象化されてはいるが、波長が合う人にはわかる"音楽"という形をとることにより、現実世界での人間同士のコミュニケーションを豊かにするものだ。
という事を紙に書いたのだが、グループ内では全くうけなかった。当然だ。メタボ対策のほうが面白いもんね。
グループの結論がまとまったところで、私は途中退席。主たる理由は燃料切れだが、もう一つ理由がある。これに関しては、Yamahaのアプローチに対する意見とまとめて明日書く。
まともなレポートはこのページからたどることができる。