忌野清志郎が死んだ
2009-05-03 07:16
癌だと言うニュースは聞いていた。その後復帰したと聞いていたのだが。。
最後にコンサートに行ったのは10年以上前か。。どこかの学園祭で行われたコンサートだったか。
"世界中の人に自慢したいよ"という曲を聴いて思わず涙が出そうになった。それは馬鹿みたいなストレートなラブソング。でもね、それは例えば駅でギターを弾いているような人たちからは決して聞く事のできない力のある言葉だったんだよ。
忌野がニュースに取り上げられる時は、過激な歌詞やらなにやらに関する物が多かったように思う。しかし
"僕の好きな忌野"
はそうした部分ではない。気持ちをそのままにぶつけるような歌。それが"僕の好きな忌野"だ。
アーティストの訃報が流れるたび、おざなりの追悼の言葉が新聞に乗る。彼はこういう人だった。一つの時代が終わった云々。そうしたものを読む度白々しさを感じずにはいられない。ほとんどの場合アーティストとしての活動は遠い昔に終わっていた人が死んだだけなのだ。つまり個人的にその人を知らない私としては、遠い昔に死んでいたようなものだ。
しかし
今私は初めてアーティストの訃報を聞き悲しく思っている。もうあの歌声をライブで聞く事はできないのだ。録画された映像、録音された音声はたくさんある。しかしあのライブに行く事はできないのだ。
人が死んだとき"死ぬなら前もって言ってくれれば"と思う。死んでしまった後ではなんともならない。でも癌から復活したときにライブに行っておけばよかった。あの声を聞いておけばよかった。
権威への反逆も一貫していたが、それをユーモアにくるみ、さりげなく表現していた。実はシャイな人だったと思う。彼の音楽には「彼は常に信頼できる人であり、自分もしっかりしなければ」と、聞く者に思わせる力があった。
彼が"笑っていいとも"に出演したとき、スタジオ中が一つになり爆発しそうになった。今はあの映像は頭の中にあるだけ。歌っているときの生き生きした姿と、その後タモリとのトークでのはにかんだ表情。三浦友和からの"友達の輪"だったのだが、電話を受けてからも"タモリさん知ってるじゃないですか。僕そういうの苦手なんですよ"という言葉。
いや
今は素晴らしいアーティスト、エンターテイナーとしての彼を覚えておこう。"いい人なのに"などという言葉は彼には不要だ。某所で"今際の清志朗"などと名乗っている身としては、この気持ちを表すためには歌うしかない。それが私なりの歌葬だ。