ビットの濁流
2009-05-20 06:54
twitterが流行っていることは聞いている。自分もちょっとだけ顔を出してみたが、特に書いてはいない。
ビットの泥沼から距離を置くことは最近心がけていることの一つである。しかしこの記事を読む限りビットの濁流という表現のほうが的確なようだ。
インターネットが再びその姿を変えつつある。情報が、従来のように既存のWebページからではなく、最近はますます、リアルタイムのストリームの形で配布され提示されるようになっている。
via: Webは「静的ページ」から「リアルタイムストリーム」に変貌, 飛び込んで流れを加速せよ
起こっていることは確かにこの方向なのだろう。しかしそれは好ましいことなのか?この記事のそこかしこからは"バスに乗り遅れるな"という声が聞こえるようだが、私の意見では"バスに乗り遅れるな"といわれて飛び乗ると絶対ろくな目に合わない。
問題は、これまでよりもずっと規模の大きい、情報の過剰だ。この洪水に溺れないようにするためには、どうしたらいいのか? Borthwickは、ストリームを管理できるという考えを捨てろと言う。自分の友だちのつぶやき、自分自身のアップデート、自分のブログ記事、Flickrにアップした写真、YouTubeで見つけたビデオ等々、そういった個人的な情報でも、これからはストリームの大渦に飲まれてWeb全域へ広がっていく。
via: Webは「静的ページ」から「リアルタイムストリーム」に変貌, 飛び込んで流れを加速せよ
死ぬわけじゃないから、とりあえず飛び込んでみろ、というのはまあ一つの考えではある。制御不能は、インターネットが普及してから明らかになった特質の一つだ。それが今や極大化しつつある、ということなのだろうか。
私自身はそこから距離を置くつもりでいる。しかし世の中はどうなっていくのだろう。皆がビットの濁流にひたりながら、思考を停止しただ流れていくのだろうか。