音楽会議4で考えた
2009-06-01 07:20
というわけで本日は音楽会議4に参加している間、何を考えたかについて書く。前回を読んでいない人はそちらから読んでね。
携帯電話に搭載されたシンセサイザーを活用するために、楽器にする、というアイディアは理解できる。問題はそれが"使ってみたい"と思わせるものか、という点だ。
目を閉じて彼らの演奏を聴いてた。おそらくはとても演奏上手な人たちなのだと思う。しかしそれであってさえ、彼らの演奏は"携帯で演奏できるんだ。すごいね"というものを超えることはなかった。
つまり"踊るクマ"の範疇をでることはない。
目を開けるとどうか。
これはYAMAHAの方も認識しているようだが、そもそも携帯電話のボタンを押しまくる姿というのははたからみていて美しいものではない。そうした姿の人間がちまたにあふれている今日この頃というのは私にとって快適なものではないのだが、彼らの"演奏姿"をみているとその感をますます強くする。
このように考えてくると、携帯電話を楽器にした彼らのデモに"驚き"を感じはするが、"ぜひほしい"とはどうしても思えないのだ。
またこうした"素人向けの楽器演奏"というものについてはおそらくYAMAHAも経験したであろう以下の要素を考慮に入れる必要がある。
- そもそも素人は"楽器が演奏できたらいいな"とは思うが"楽器を習おう"とは思わない。(大多数の人は)
- たいていの素人は自分が思っているより演奏が下手である。したがって自分の演奏が耳にはいるとたいていの場合がっかりする。
- 多くの場合、演奏だけに専念する時間はもてない。したがって演奏は"時々のりたいときだけ参加できる"ものであるようにするべきだ。
私の考えでは、YAMAHAは"光るギター"シリーズでこれらについて学んだのではないかと思う。光るギターは、適当にじゃかじゃか弦をかきならせば演奏できるし、そもそも人間の動きに演奏が依存していない。それくらいでなければ素人はつかわないのだ。
などと偉そうにいう貴様はどうなんだ、と言われればこの動画をみせる。
これは3年前、某社のアイディアコンテストで私がつくったものだ。車にのっていると流れる音楽にあわせ思わずハンドルをひっぱたいてしまう人は多い(断言!)
そうした人にとってこのシステムは福音となるものである。しかけは簡単。ハンドルに衝撃センサーをとりつけておき、その入力で、ギターを書きならす、とそんだけだ。このギターはYAMAHA製の光るギターなので、ハンドルを運転のために握っていても演奏はちゃんと継続される。
しかし素人が"ながら"で演奏する楽器はこれくらいでなければならんと思うのだ。携帯にのせるのであれば、携帯をコツコツはじくと演奏に参加できるとかなんとか。
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今回発表したのはYAMAHAの半導体事業部の人たちだったように思う。部品を作る立場から、こうした新しい提案をする、というのは実にすばらしいしうらやましいことだ。
聞かれてもいないアドバイスをするならば、発想の一つの方法として、任天堂がやった"○○のある生活"というような絵を描いてみるものいいかもしれない。これがあれば、生活がこう楽しくなる。豊かになる。そうした絵を描ける製品を実際に作ってしまうのも一つの方法ではなかろうか。(そうしたものを期待して、音楽会議をスポンサーし、多数社員を参加させていると思うのだが)
携帯を使って音楽を奏でながらの、美しく楽しい姿とはどういうものか。誰がどんなシチュエーションでこれを使って盛り上がってくれるのか。そんなことを具体的な絵にできないだろうか。
今回見せてもらったもののテクノロジーには正直感服した(私が作ったシステムだと、入力から音がでるまでのタイムラグがひどく、テンポの早い曲には対応できない)その技術と発想が結びつけば本当に面白い製品ができるのではないか、と期待してしまうのだ。
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などと書いていると我とわが身を振り返り、ずどーんと落ち込むことになる。
音楽会議に参加したのは2回目だが、YAMAHAの社員さんたちの"会社を仕事を誇りに思っている姿勢"にはいつも強い感銘を受ける。
そして前回参加したときから私の環境は変化した。今は"何時までにこれを出せ"という要望に答えることだけしかしていない。
こうした"新しい提案"ができる立場というのは素直にうらやましく思える。そして今の私は他の人に"がんばって面白いものを世の中に出してください"としか言えない立場だ。
繰り返しになるが"半導体事業部"でありながらこうした提案を作り上げてしまう、ということには素直に感服するしうらやましいと思う。
しかし後半私が"燃料切れ"になったのもそれ故ではなかったかと思うのだ。