映画評:ターミネータ4
2009-06-11 06:53
ネタのない日は、本家から改変しつつ転載。
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ある映画評のパクリだが、
"オープニングを見ている間に既に退屈していた"
何がと言われると困るが、どことなく緊張感がないのだ。これはどうしたことか。米国での評価が散々だったようだし、やはり、、いや、まだ始まったばかり。変な予感にとらわれてどうする、と自分に言い聞かせる。
そのうちこんなシーンがでてくる。映画では何かの理由により"登場人物が、時間を飛び越し登場する"ことがある。(タイムリープとか、何年も昏睡状態にあったとか)そうした時に
"今日は何月何日、いや何年だ?"
と聞くのはお約束である。普通そんな聞き方をする人はいないから
"何を言っているんだ。お前頭おかしいんじゃないか?"
と突っ込みをいれるのもお約束。ところがこの映画ではそのまま何事もなかったかのように会話が進むのだ。ちょっと待て。
と いったところから始まり、ジョン・コナーがハンサムではあるが一種類の表情しかしないのに飽き飽きし、機械が強いんだか弱いんだかさっぱりわからず、人間 の司令部にいる人達が絵に描いたような"荒くれ者"で笑いさえこみ上げ、これはどうやっても950円以上はつかないなと思っているうち映画は終盤にはい る。いや、別に有名シリーズにふさわしいできを見せろとか、そういう面倒なことは言わない。言わないからとりあえず場面の続きがわかるようにしてもらえな いだろうか。単純な筋なのに場面がふっとぶのでどこにいったかわからなくなる。
CG で復元された若き日のシュワちゃんがでてくるころには、もうどうでもよくなっているので腹もたたない。I'll be back,だのCome with me if you want to live,だの有名な台詞とかどうでもいい。まともな映画みせろよ。最も近い印象を持った映画はハリウッド版ゴジラ。となりの人が何度も時計を見る。気持ちはとってもわかります。(後で調べて驚いた。これって2時間切る短い映画だったんだ)
見ているうちに考える。過去の3作は何がおもしろかったのかな。するとターミネターの恐ろしさは触媒であり、私にとっては、それらはいずれも人間の物語であったことに気がつく。この映画の登場人物はいずれも美形だが、カケラも記憶に残らない。
思うに
"ターミネーターなら僕に作らせてください。1−3までどれも五百回以上はみてます"
というターミネーターオタクに作らせたのはないかなあ。出来を問いつめると
"だって、あの台詞もあの場面もはいってるでしょ。いやあ苦労しましたよ。CGはしっかり最先端技術を取り入れてるし。何が問題なんです?"
とか真顔で答えるような。
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いや、ひどい2時間であった。2chを読むと、主役の男優が"おれにジョンをやらせろ。もっとジョンをかっこよくしろ"と脚本の改変を迫ったとか。確かにそう言われれば、というようなどうしようもない脚本であった。
世の中には"失敗学"というものがあるらしい。こういう映画や、ドラゴンボール、それにシャマランの映画がなぜ公開され続けるかについても調査、考察すると面白いのではなかろうか。