独立時計師たちの展示会

2009-06-12 06:55

というわけで某所で見つけた"スイスの独立時計師"たちのお話なのだが。

世界最大の時計の見本市、バーゼルフェアに小さなブースが設置され、そこでは18人の独立時計師が自分の作品を展示している。

一人の時計師がこういう

"ここには創造性があふれている。とても刺激を受ける。いますぐ工房に戻って作り始めたいくらいだ"

思うにこういう場所が他にあってもいいと思うのだ。

創造はひとりで行わなければならない。しかし外部からの刺激は重要だ。

どんな時代にも、少数のホットなトピックがあり、それに向けて多くの仕事をなす少数の集団がいる。 それらの中心から遠く離れてしまっていては、良い仕事をするのはほとんど不可能だ。 このような流れを押しよせたり引き寄せたりすることはある程度できるが、 完全に逃れることは出来ない。

via: Taste for Makers

というわけで、CHIに関してホットなトピックを"競い合う"場が必要だという気がするのだ。

現実にはWISSとかインタラクションとかがそうした場になっているのかもしれないが、私がより理想的と思うのは今は開催されなくなってしまった"キーボード研究会"である。

「高齢者はキーボードの装置が苦手」――キーボード操作を覚えられない母親を助けようと、本田展士さん(個人参加)が開発した入力装置「ジャイロスティック」。乗り物の操縦かんのような形で、一見してキー入力に使えるとは思えない。

via: ITmedia PCUPdate:お年寄りと戦車の文字入力──インタフェースはまだまだ進化する

この会合の参加者名簿には一見の価値があった。"一介のキーボードマニア"とか"生協"とか研究業界とは無縁の所属名が並んでいた。しかし発表されるもののインパクトと参加者の熱意は大規模な学会に勝りこそすれ劣るものではなかったのである。

なんとか改善しなければ、というのは学会の人たちも考えているところだと思う。しかし様々な試みも結局元に-つまり現在の形態-に戻ってしまうというのが実情のようだ。

私の考えでは、真に変わったもの、新しいものを生み出せる人というのは一握りしか存在しない。つまりそれは属人的な才能なのだ。

そうした"事実"を認めた上で、徹底的にそれに立脚した発表の場をつくることができないか。地下鉄の駅から家につくまでの間そのことを考えていた。

論文を出すと必ず言われる"新規性"とか"有効性の評価"については批判が多い。しかし誰も確たる対立軸を提案することができないでいる。私も

"これのどこが類似先行研究なんだー!"

と何度も叫んだクチであるからして批判だけはできる。しかし提案は。。しかし思うんだよ。新規性、有効性の評価なんてのは、結局

"俺はあんたのやっていることが気に入った/気に入らない"

の"学術的"な言い回しにすぎない、と。

ちなみに並行して

"使っている人を美しく見せるTV操作用インタフェース"

についても考えていた。あおり文句だけは思いついたのだが、実態はいまだ考察中。表にでることがあるかどうかはわからない。