素人のたわごとにどう応えるか

2009-06-22 07:10

というわけで今日はここ数日読んだブログの切り貼りをしてみる。

きっかけはこの記事である。

お前はオープンソースの何を知っているというのだ。

何を根拠に日本オープンソースを育む土壌がないというのだ。

どれだけの日本人オープンソースにかかわってきたのか本当に知らないなら、オープンソースについては、語らないほうがいい。薄っぺらい言葉は直ぐにぼろが出る。

via: ひがやすを blog

この言葉に対して、おそらくはとても頭のいい人がこのように"なだめる言葉"をかけた。

いや、「オープンソース当事者」の方々から見て、上記の話が全く的外れであって、仮想敵などいなくて、日本はハッピーな世界でオープンソースは花盛り、というなら私は全く間違っているので、話を引っ込める。えらそーなこと言ってゴメンと言って消える。(実際どうなのか、どなたか体系的にちゃんと説明していただけるとありがたい。)

via: かみつく相手が違うのでは - Tech Mom from Silicon Valley

一見するとこの"なだめ方"は見事と思える。対立を建設的な方向にもっていく、という姿勢はおそらく多くの場面で有効なことだろう。学ぶべき点だと思うが、末尾の"体系的にちゃんと説明していただけるとありがたい"のところに"私は頭がいいのよ。議論するなら体系的にね"という気位が見え隠れするような気がするのは私のひがみ根性というやつだな。

でもってそれに対する返答というのがちゃんとなされており、頭のいい人が手首だけで放ったショットが見事に打ち返されているのだが、それは読んでいただくとして、今日言いたいのはそこではない。

最初に謝っておきます。「オープンソースについて知らないのなら軽々しく書くな」というのは言い過ぎですね。だれでも自由に物を書く権利がある。

via: ひがやすを blog

ここである。

ある集団が、自分たちの行動に誇りをもつあまり排他的な要素を帯び出すのは古今東西普遍的に見られる現象である。

ひがやすを氏も自分で認識されているとおり、明らかに知識を持たない人の言葉にいちいち腹を立てる、というのは後で冷静になって考えてみればあまり得策ではない。なぜそういえるかといえば、私がよくそうやって腹をたて後で後悔するからだ。

有能な人間を取り込み、より活動を活発化していこうと思えば、そうした"素人のたわごと"をうまく取り込むのも一つの方法ではないかと思うのだ。

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話は突然かわる。先日有名なレスラーが試合中に死去した。それに対してこのような記事を書いた人がいた。

極端に言えばこういうことなんだ。人の道には反するが、プロレス的にはこれが正しいんだ。彰俊は三沢を冒涜すればいい。悪しざまに罵り、嘲り、笑い捨てればいい。心の中で「ごめん」と拝み、その反対の行動を徹底すればいい。それが自分が生きる道だし、三沢を生かす道。三沢を生かすには、自分が生きるしかない。人間的に最も間違った行為が、プロレス的に正しいことがあるんだ。そして故人を敬う行為になることがあるんだ。

世間の憎しみを集めればいい。社会を敵にまわすといい。日本中に非難されればいい。その過程で「悪役斎藤彰俊」は認知されるだろうし、斎藤彰俊認知されればされるほど、三沢光晴認知されていく。

via: プロレスラーの生きる道 - タケルンバ卿日記

正直言って感服した。なるほど。プロレスという芸を究めるためにはこれくらい人の道を踏み外した発想というのもあるのではないか。しかしこの記事についているコメントには否定的なものが多い。

鶴田VS三沢戦を100回見よ。若林が何を語っているかを100回聴け。 2009/06/18 tororo-imo プロレス, これはひどい, バカ? こいつ、今のプロレス見てねぇだろ。そんな古くさいアングルで喜ぶのはてめえくらいだ。/ 斎藤彰俊のキャラ、立ち位置も知らねえんじゃねぇの。プロレスの知識も古すぎ。バカか。 http://b.hatena.ne.jp/entry/http://d.hatena.ne.jp/takerunba/20090615/p1

それらを読むにつけ、このようなコメントは"今のプロレスにとても詳しい人たち"からの言葉なのだろうな、と思える。確かにそのような人たちは引用した意見を読めば怒りを覚えるだろう。



しかし

今やプロレスはパイを減らし、絶滅の危機にひんしている、という事実は動かしようがない。三沢氏は社長業-つまりは金の確保だ-で疲れ果てていたとも聞く。自分たちの知識と愛を誇りにし、"素人"に罵詈雑言をなげつける。それは個人の判断だが、その結果としてパイはどんんどん縮んでいるのだ。

私が若いころ、プロレスはゴールデンタイムに放映されていた。大きな会場を満員にすることができた。当時のプロレスより、今のプロレスのほうが優れている部分もあるだろう。しかし少なくともメジャーと呼ばれる団体の社長が金策に疲れ果てることはなかったのではなかろうか。

などと考えているとこの記事が思い出される

コミュニティは愛があっても崩壊することがあるのだから愛のないコミュニティは当然崩壊する
だからウエブに参加する人は自分が示すことのできる最大限の愛を示すべきだ
日本人は大きいおっぱいには執着するが、パイを大きくすることにはなぜか無頓着
おっぱいが小さくてもそれなりに生きていけるが、パイが小さくなるとそれなりに生きていくのも大変になる

via: おっぱいが小さいと問題にするくせにパイが小さくなることは問題にしないのは問題ではないか - 服従するが果たさない

おっぱいを、いやパイを大きくするためにはやはり"素人のたわごと"にどうこたえるかもう少し考えるべきなのではなかろうか。ある本で読んだ言葉だが

"富士さんと巨乳は遠くから見ている方がいい"

というものがあり、パイが大きくなればそれはそれで問題もでてくるのだろうが、パイが小さいと生きていくこと自体大変だよ。

そう思えば、いつかの冬季オリンピックで"韓国選手の妨害をした"と韓国だけから非難されたスケート選手のコメントをお手本にしたいな、と思うのである。サッカーワールドカップで、韓国がそれを揶揄した(と自分たちだけは思った)パフォーマンスをした。それに対する反応はこうである。

安貞桓選手のアクションを、ほかの韓国選手も後ろに列を作って真似たが、11日付の米紙シアトル・タイムズによると、当のオーノ選手はこれを見て「フォームがなっていない」と一言。

オーノ選手は「自分の決定ではないのにいつまでも恨み続けられているとは嘆かわしい」と語りながらも、「(スケートは)もっと腰を落として、肩を水平に保つようにしないと」などと話して、フォームの悪さを指摘。さらに今回の韓国選手の「表現」で、スケート競技に興味を持つ人が増えてくれればと"大人"の対応を見せている。

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さて、とこれくらい書いておけばこれから私が書くことに対して、プロレスファンからの怒りも少しはかわせるのではなかろうか。

週末"レスラー"という映画を見た。感動した。ちゃんとした映画評は後日アップロードするが、今はこう考えている

"プロレスとは肉体を駆使した技を使った漫才である"

敵は観客。そしてリング上にいる相手はともに敵と戦う大事な仲間なのだ、と。