映画評:劔岳 点の記
2009-07-06 07:37
どこからかタダ券がふってきたので見に行った。というわけで本家から転載
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真面目に作った邦画ということで見に行った。"おくりびと"をアカデミー賞受賞の後にしか見られなかった自分への反省を含めて。
観た後考える。私は邦画からより遠ざかることになってしまうかもしれない。
映 画の冒頭、物語の背景がぎこちない字幕で説明される。いやな予感がする。バックに流れる曲はクラシック。雄大な情景にへ んな音楽をつけるよりは良い判断だと思う。しかしビバルディの四季-冬ばかり何度も流すのはやめてもらえないだろうか。寒さを感じさせる クラシックはそれだけじゃないんだしさ。演奏がチャチなのかかぶせ方が悪いのか選曲が稚拙なのか、とにかく音楽が効果的とは言いがたい。
などと考えているうち"映画の背景を説明するセリフ"の連発に苦笑し、登場人物それぞれの家族が 全くのつけたしであるのにげんなりする。主人公の妻を演じる宮崎あおいは"ひたすら可愛くでれでれ"した女。測量隊案内人の嫁は、なんというか平成の美人 顔ですね。もう ちょっと明治顔の人はいなかったのだろうか。顔を出すだけで結局ストーリーに何の関係もないし
思うにこの映画を作った人間というのは、"感動的なセリフを言わせれば観客は感動してくれ る"と思いこんでいるのではなかろうか。結果としてどの登場人物からも人間を感じることができない。たとえばあり がちな"若者が無謀なことをして怪我をする"場面がある。その行動自体唐突で訳がわからないのだが、まあそれは問わない事にしよう。その後主人公が
"全部私の責任です"
と言う。字面では立派な言葉だが、そこには責任感も後悔の念も全く感じられない。
い や、人間ドラマがどうとか難しいことは言わないことにしよう。しかしそれまでさんざん"前人未踏の剣岳"とあおっていたのだから、最後の登頂をドラマチッ ク-少なくとも難しく見せてくれなければ困る。なんだかんだと言いながら、スタスタ歩いていたら頂上についたようにしか見えない。
そして登頂後も話はだらだら続く。主人公たちの仕事は地図を作ることで剣岳登頂じゃない、というのはわかるが、最後の"剣岳山頂との間 でのエール交換"は見ていて気恥ずかしくなる。そもそもそんなにタイミング良く相手が山頂にいるわけないじゃないか。しょうがないなぁと思っているとこれが延々と続く。安っぽい結婚式場の司会の台詞を聞かされているようないやな時間が続く。
と いったようにストーリーというか話としては見るべき点がない。反対に異常な執着が感じられるのが"映像"である。ライチョウ、熊撃ち、落石、人の滑落場面な どがこれでもかとしつこく挿入される。語るべき物語が主で映像はそのための手段と思うのだが、この映画においてはその関係が逆転している。撮影できた良い映像はとにかく突っ込もうとしているようだ。後で調べ"名カ メラマンが監督した"と知りなぜこのような映画ができてしまったか納得した。
この映画を価値あるものにするためには、セリフを全部とっぱらい
"美しい剣岳の自然"
とか題名をつけドキュメンタリーに構成しなおすべきではなかろうか。それであれば1000円をつけたかもしれない。
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自発的に邦画をみなくなってから久しいのだが、この映画は"かつての邦画はこのようなものであったかもしれないなあ"と思わせるものだった。真面目に作っているとは思う。しかしどこか作るピントがずれている。
映画の最後、剣岳山頂の三角点を測量しようとする。するとそれまで登頂を競っていた日本山岳会のメンバーがいることを発見する。そこから手旗信号によるいらいらするメッセージ交換が始まる。
手旗信号だから、一秒あたりの文字数は約1文字である。したがってゆっくりしかメッセージは送れないのだが、それでは映画にならないので途中から超高速通信になる。あの早さで手旗信号をやれば結構楽しいと思うのだが、そこは映してくれないのであった。