結局最後はvi
2009-09-15 07:04
古い私のような人間からすると、最近のLinuxの普及には驚かされる。サーバーだろうが、組み込み端末だろうが、最近はなんでもLinuxだ。(もちろんそれ以外もあるけどね)
でもってLinuxにさわるとなると結局viから逃れることはできない。最初にviを使ったのはMS-DOSの上でだった。"なんだこの使いにくさは"と最初は思うのだがそのうち慣れる。
会社にはいり、これでviのような非人間的なエディタとはおさらば、と思っていた。それから8年ほどしてまたプログラムの仕事につく。今度はemacsだもんね、と思っていると"メモリが足りない"といわれviに戻る。
というわけで結局最後はviに戻ってしまうわけだ。でもって昨日こんな発言を見つけた。
viとかシェルとかにアフォーダンスは皆無なのに誰も文句を言わないのは何故か
via: Twitter / Toshiyuki Masui: viとかシェルとかにアフォーダンスは皆無なのに誰も文 ...
アンチユーザビリティ論者の私(今決めました)としてはこの言葉に反応せざるを得ない。デザインがどうの、アフォーダンスがどうのといったところで結局viなのだ。
ユーザビリティの観点からみればviは最悪に近い。しかし誰もが使っているし、必ず使える代替手段が広まる気配もないようだ。なんだかんだ文句をいいながら誰もが使っているのである。
おまけに"なれれば早い"のも事実である。したがって私はこう主張したい。(前にも言ったような気がするが)ユーザビリティだのアフォーダンスだの金科玉条のごとく振り回すのは馬鹿げている。
今から2年前のことだが
"使っているユーザを美しく見せようと思えば、CUIを極めるインタフェースを考えるべきだ"
と主張したが、親会社から定年間際で落っこちてくるような人間にはもちろん理解されなかったなあ。