映画評:イングロリアス・バスターズ
2009-12-04 07:41
人生がすっかりいやになった日は本家から転載。
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"面白い映画とは"ただそれだけをつきつめた結果がこの作品なのだと思う。
冒頭、フランスの農家にドイツの軍人が訪れる。あくまでもにこやかで丁寧なJew Hunter.彼と農夫の会話はあくまでも静か。しかし柔かな言葉の裏にあるいやらしさ、恐ろしさ、緊張感に思わず前のめりになる。
おそらく多くの人の印象に残るのがこのランダ大佐だ。フランス語、ドイツ語、イタリア語、英語を自由に操り、粘着質の笑顔ですいすいと泳ぎ続 ける。嫌悪感を通り越し強烈な存在を意識させられる。
さ て、ブラピはアメリカ軍の中尉。ナチを残虐な方法で殺す事だけを任務にしたユダヤ人部隊を率いる。1944年、彼らにある任務が課せられ る。ドイツの英雄を描いた映画のプレミア上映会。そこにナチの高官が集まる。彼らを映画館ごとの爆殺せよ、と。しかし彼らを殺そうとしているのはブラピ達だ けではなかった。
ゲーリング、ゲッベルス、ボアマン、ヒトラーが一つの映画館に集まっている。戦争が終わるのは翌年だから暗殺計画は、、と私のような人 間は暗 黙裏にストーリを型にはめて考える。しかしタランティーノにはそんなことはどうでもいいことなのだ。そこからの展開に唖然とする私を尻目にブラピのテ ネシーなまり?の英語(米語か)が響き続ける。
現首相の"友愛"思想を賞賛するお子様はこの映画を見るべきではない。不愉快になるだけだと思うよ。2012でもみてな。
しかし
どんな分野に従事している人でも良い。"面白い"とはどういうことかを少しでもまじめに考えたことがある人はこの映画を見るべきだ。
この映画の登場人物達は"型通り"なんてことは勿論"一筋縄では行かない"をも通り越している。映画のお約束、あるいはお約束に対する 反抗、コメディ、史実への批判、主張、そんなものは"面白い"じゃない。タランティーノの"面白い"への追求はそんなところでは止まらない。キル・ビルの時も思ったが映画の"嘘"をさら け出し、使える物は何でも使いバラバラにしたあげく再構成。ヒトラーですらもこの映画では"一つの駒"でしかない。
しかし最後にはすべて脱ぎ去った
"面白い"
という感情だけが残る。凄い。
最後に関係ない話を一つ。今度ドイツ人にあったら
"3って指でどうやるの"
と聞いてみよう。
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他にも
"聞くだけ無駄だと思うけど、あんたたちアメリカ人は他に何か言葉しゃべれるの?"
という愉快なセリフもあった。ゲッベルスづきの通訳がゲッベルスと何をしているか想像したあとの、凍りつくような微笑。とか。
細かいところまで実にねられた、そして全体が完全にすっとびながら面白いという素晴らしい映画であった。
新しい物を創造することを志している人は誰でもこの映画を観るべきだ。ユーザビリティ原理主義者とかユニバーサルデザイン原理主義者にはこの映画の面白さはわかるまい。
本当に素晴らしい製品、使いたい製品はそうしたくだらない原理主義、くだらない原理主義への批判を超えたところにある。そんなことを考えた。