Invictus

2010-02-09 08:09

とはいうものの今日書きたいのは映画評ではない。(近日中に本家およびここにアップロードするつもりだが)

この詩は映画の中でとても効果的に使われている。

そして何年間にも渡る脅迫も
Finds and shall find me unafraid.
私が今も恐れてなどいないことを思い知るだろう
It matters not how strait the gate,
その門がいかに狭きものであろうと
How charged with punishments the scroll,
どうして裁きのままに罰を受けることができようか
I am the master of my fate:
私は我が運命の主であり
I am the captain of my soul.
我が魂の指揮官なのだ

via: Invictus | 不 可 視 の 学 院

この言葉を27年間投獄され、大きな石を砕き続ける、という意味のない作業を強いられ続けた人間がつぶやけば、誰もが"をを"と思う。

しかしそれは話の半分でしかない。

この詩を遺書の中で引用した人がいる

この言葉は、死刑囚ティモシー・マクベイのものではなく、19世紀のイギリスの詩人ウィリアム・アーネスト・ヘンリーの詩「Invictus」の一節だった。Invictusとは、「征服されない」という意味に当たる。何故この詩ような他人の詩を、己の最期の言葉として、書き写し手渡したのかは不明だ。

via: 孤独なテロリストの自己

オクラホマシティ連邦政府ビル爆破事件を引き起こし、168名を殺した男だ。

"不屈の精神"と"完全な狂気"はある部分だけとれば大変よく似ている。それらを隔てるのは"現実からのフィードバックを受け止めることができるか否か"だけでしかない場合がある。

マンデラは前者であり、マクベイは後者だった。崇高な理想のために一身をささげる、という意味であれば911でWTCに突っ込んだ人間だって該当する。あるいはオウム真理教で殺人を続けた人間たちも。

「結局は自分の好きなことを貫き通したやつが勝つ」というのはよく言われることだ。そしてお笑い芸人を目指している生徒たちも、たいていはそういうもんだと信じていて、自分の好きなお笑いを貫こうとする。自分が面白いと思うネタを作ってくる。自分がやりたいお笑いをやる。

しかし、そういう生徒はことごとくウケないのだ。学校では月に一度、生徒たちによるライブを開催していて、そこでは見に来てくれたお客さんによる人気投票も行われているのだけれど、自分の好きなことを貫き通した生徒から順に、人気投票の下位から並んでいくのである。

via: 結局は自分の好きなことを貫き通したやつが負け - ハックルベリーに会いに行く

一読すると世間で言われていることと反対なようなこの文章も、つまるところ、自分の信念を貫くことと、現実からのフィードバックを両立させなけりゃだめだよ、ということなのではないかと考えたりする。