エコの気持ち悪さ
2010-03-18 07:21
昨日うちの子供が言った。ししゃもは何も残さず全部食べられるからエコなのだそうな。エコざかな、と命名していたが。
というわけで幼稚園児もエコである。昨日こんな記事を見つけた。
ペットボトルにまつわるエクスピリエンスとして
購入・使用・廃棄の一連の流れの中でいかにエコを感じさせるか
ということを考えつつ、ストーリーを考えていきました。
via: ischool 第4回ワークショップ#4 | 東京大学i.school
ここで挙げられているアイディアの類型的なところにうんざいるするのは私だけだろうか?
- 人とのつながり
- マザーテレサ的なLove Eco
- 親子のふれあい
- 地球とのつながり
ペットボトル、エコというだけでこうしたキーワードが自動的に湧いてくるのだろう。グループワークだから仕方がないかもしれないが、もうちょっと"現実の人間社会"に根差したアイディアはないものだろうか?
-----------
話は少しかわる。先日たまたまつけているTVでこんな話を見た。
映画監督の大林宣彦が小学生?を相手にストーリー教室をやっている。
何枚かの写真があり、そこから3-4枚選んでストーリーをつける、という設定らしい(最初から見ていないので知らない)
その写真の中には、砂浜に転がるつぶれたペットボトルのものが一枚あった。
それを使ってある女生徒がストーリーを作る。
大好きな浜辺を歩いていると、ペットボトルが落ちているのをみつけ悲しくなった。環境をまもるため、ゴミを拾って帰った。
↑であげたエコ、ペットボトルのストーリと大同小異である。大学生が小学生並みというべきか、小学生が大学生並みというべきか、あるいはエコに関するありきたりのストーリというべきか。
そこで大林監督がいくつかコメントをだす。
つぶれたペットボトルの写真を指さし
"これはゴミか?"
残念ながら番組内ではっとするようなストーリーには出会えなかった。しかし大林監督の指摘は"さすが"とうならせるようなものだった。
--------------
と書きながら、↑で挙げられているような"プロセス"を経ては、そうしたアイディアしか生まれないのだろう、とも思う。
ペットボトルを集めてあくどく儲ける
なんてのは、ブレーンストーミングの段階ではでてきても、結局切られるだけだ。でも現実の人間とはそうしたものではないか?現実世界に生きている人間を動かしているのは何なのか?
ちなみにその後にはこんな記事が続く
検証して、もし私たちの考えた条件のもとで
イノベーションの芽が生まれたら、
ある意味意図的にイノベーションを起こせることになるのです。
それをワークショップを開催することで、
検証&みなさんに体験してもらいたいと考えています。
そうして仮説が真理になったとき、
その活用は無限です。
via: イノタンの近況 | 東京大学i.school
こうした"イノベーションのプロセス化"というのは、大企業が大好きなテーマだが、、、結果を見守りたいと思う。