働いているとよく出会うメンタリティ

2010-03-19 08:30

というわけでいきなり引用である。

その意味では、AndroidのJavaアプリというのは方向性からして間違っているし、Google全体が目指している方向とも違う。AndroidのLinuxとかWebkitの部分は良いとして、Android向けのアプリをごりごり作って差別化をはかろうという作戦だけはどう考えても間違い。

 まあ、iPhoneアプリがあれだけ成功しているのを見れば、自分でも同じことがしてみたいという気持ちになることは分かるが、「今、成功しているもの」を真似するんじゃなくて、「次に起こるだろう・起こるべきこと」をちゃんと見極めて、その変化を起こす立場にならないと、この業界ではリーダーシップは取れない。

Life is beautiful: 共著「Google Chrome OS」出版のお知らせ から引用


仕事でよく出会う

"iPhoneみたいなものを作りたい"

というメンタリティには(影でこっそり)辟易している、というのは本当のところだ。

もちろん最初から勝負を投げているところならばそれでもよい。

しかし

仮にもソフト or ソフト+ハードを作っているメーカーの人間がこうした事を口走るのは理解し難い。絶望に打ちひしがれて歴史学者にでも転向する、というのならまだ理解できる。あるいは、ガラケーの路にひたすら耳目を閉じてつきすすむとか。

しかし

顎が外れるような製品をみて、ショックが去った後には

"これを吹き飛ばす製品を作ってやる"

とどうして考えないのだろうか。実に不思議だ。

そうした意味ではAndroidは

"iPhoneよりちょっとオープンで、無料です。その分Sexyさは減ってます"

製品でしかない。それを搭載して喜んでいてどうする。

友人から聞いた話だがある"先端技術の研究開発"をする会社では、2007年に

"2015年にはこうなります。なんと◯◯とiPhoneがつながるんです!"(キリッ)

と真顔で主張していたらしい。まあそうやっていられる方が確かに世の中幸せに暮らせるとは思うのだが。

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私の知る限り、ライバルと目される製品では、Palm pre, それにWindows Mobile 7の方向性はいずれもそれなりに筋が通っている。しかしなんですね。Windows Mobile7のケータイは、ボタンのWindowsマークを見るだけで"げんなり"とした気分になるのはなぜだろう。これは私がApple原理主義者だからでしょうか。