Fighter

2010-04-07 07:29

先日このような文章を見つけた。

 裕福なジェントリの家庭に育ったナイチンゲールは看護師を志し、のちに婦人病院長となった。
 しかし、クリミア戦争が勃発すると、翌1854年、自ら志願して38名の看護師を率い従軍した。
 ここまではご存知の通り。
 
 しかし従軍看護団の結成と指揮を任されて現地スクタリに赴いたナイチンゲールを待っていたのは、戦争よりもたちの悪い衛生環境と官僚たちであった。

 兵舎病院は極めて不衛生であり、官僚的な縦割り行政の弊害から必要な物資が供給されていなかった。
 さらに現地のホール軍医長官らは、縦割り行政を楯に看護師団の従軍を拒否した。
 ナいチンゲールたちは、病院の中に一歩でも立ち入ることができなかった。

via: 問:史上最も有名で、最も戦闘的だった統計学者は誰か? 答え:ナイチンゲール 読書猿Classic: between / beyond readers

生きている間に何度も実感してきたことだが、私はこうした場面にぶつかると

"これは、こうだからできないだ"

と説明しておしまいにすることが多すぎる。

政治的、としか称することができない理由によって変化が阻まれることは多々ある。大きな集団になればなるほど、変化に抵抗する傾向は強くなる。

ナイチンゲールはそれに統計という客観データで立ち向かった、というのが話の半分。官僚的な縦割が支配しているのであれば、その縦割が及ばないところを探した、というのが話のもう半分。

こういう話は人生のどの段階で聞くのがいいのだろうか。社会人経験のない時に聞いても本当の意味はわかるまい。聞いたとしてもそれを生かすチャンスがなくなってからでは遅すぎる。いや、そんなことはないのかな。