"人の話を聞く"と言うことと、"自分の枠をはめる"ということ

2010-05-14 07:44

先日あるNHKの番組を見た。

毎月、約400人が悩みの相談に訪れる民間の相談機関が、東京・銀座にあります。
臨床心理士4年目の斎藤愛さん(30歳)は、一番の若手。臨床心理士は、悩みをとことん聴いて、話してもらう事が基本です。悩んでいる人の心の中は、様々な問題が複雑に絡み合い、自分で何が問題か分かりづらい状態。話す事で、初めて自分の悩みに気づき、整理できます。それが回復への第一歩になると考えられているのです。

via: ●あしたをつかめ●学校放送●

番組を見始め、斎藤氏が画面に登場したところから何か違和感を感じた。番組が進むにつれてその違和感は高まるばかり。

これはどうしたことか、と思っていた疑問の答えは番組の後半にあった。

模擬カウンセリングに対して、他の臨床心理士がダメだしをする場面だ。(すべてうろ覚え)

"相手はゆっくりしゃべっているのに、斎藤さんは早口でしゃべっている"

"後半になるにつれ、斎藤さんの発言が多くなる"

"(ベテランの人が)私がやれば質問が途切れることはない。メモをとることで何がしたいのか"

私が斎藤氏の言動に感じていた違和感はこれだった。

つまり斎藤氏は"あなたの悩み、とことん聴きます"と言いながら、全然相手の言葉を聞こうとしていないのだ。正確にいえばありのままの相手の姿をとらえようとするのではなく、頭の中にいくつかある"型"にはめようとしていたのだ。

だから相手のペースに合わせず自分の主張ばかりしゃべる。だから後半になると"あなたはこの型です"としゃべりだす。これで本当に相手の話を聞いていることになるのだろうか?


さて

この資格をとるためには何をする必要があるのか

原則として、資格認定協会が指定した大学院(第1種)を修了するか、第2種指定大学院修了の場合は1年以上の臨床経験を積む必要があります。

via: ●あしたをつかめ●学校放送●

資格認定協会がどのような大学院を指定するかといえばこのリストにある大学院とのこと。臨床心理学系である。

ここで私が思い出したのは"研究補償説"だ。(専攻分野反転の法則ともいう)

この法則を敷衍してみよう。言語学者の言うことは意味が分からない。哲学者はバカばかりである。講義のうまい教育学者を寡聞にして知らぬ。心理学者ほど人の心を知らぬ者はない。倫理学者は犯罪人である。読者諸氏にも思い当たるところがあるであろう、見事に専攻分野と人格類型に反比例の関係が見て取れるではないか。

via: 本日つらつらと考えたること

斎藤氏をみていると、彼女は自分の前の前に座っている"人間"を教科書で学んだパターンに置き換えようとしているように思う。つまり"人の心を知らない"ように思えるのだ。

いや、心理学と臨床心理をいっしょにされては困る、、という意見もあるのだろうが、この"資格要件"はいかがなものなのだろうか。あの番組を見る限りではそうした疑問を持たざるを得ない。

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番組の中でダメ出しをされた斎藤氏は"課題だらけですが、少しはマシになれるように努力します"と感想を述べていた。

それをみて

"ああ、この人は何もわかっていない"

と思った。

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そもそもなぜこの番組を見たかといえば、"聞き上手"について学びたかったからだ。あるブログにはこうあった。発する言葉は以下の3種類

"難しいですなあ"

"わかりませんなあ"

"感動しました"

また別のブログには"相手の言うことを勝手に要約しない"ともある。この文章を読んで50字以内でまとめなさい、という受験教育の弊害というつもりはないが、私にはこの"相手の言うことを勝手に要約する"悪癖がある。自分でも気が付いているくらいだから、気がつかないところではもっと派手にやらかしているに違いない。

この番組を見て"相手を勝手に型にはめようとするのはやめよう"と心に誓う。アンチパターンがまた一つ。