ロックすることについて

2010-05-28 07:33

と書いてはみたものの、何もここでHighway Starを歌おうとかそういうことではない。ここでいうロックとは以下のような意味である。

 ロックとは生き様であり、既成概念や社会規範や権威への反抗であり、くだらねえ大人たちにドロップキックをくらわせることである。それは誰もが一度は通る道であるが、いつしか熱い魂を失い、なんとなくモヤモヤを抱えながらも自分自身がくだらねえ大人になってしまうことも多い。

 私自身を振り返ってみてもそうだ。かつて、とんがっていたころは「飛車を斜めに動かす」「雨の日にふとんを干す」「雑誌のエッチな袋とじを開けずに捨てる」など、さまざまなロック的行為を繰り返していた。まさにカリスマだった。

via: エレメンタルノート -elemental note-

飛車を斜めに動かす。これこそがロックだ。今日は最近みかけたロックな文章をいくつか紹介。

それにしても、たった1日の出来事を長々と続けてしまい、ちょっぴり反省。

「○○なう」とか言って、その日のうちに報告することも出来るというのに...

でもね。1年前の1日の間に起きた出来事を何ヶ月もかけて思い出し、考え、整理し、調べ直し、組み立て直す作業というのもそれはそれで意味があると思うんですよ。

速報性ばかりがネットの特性と思われるかもしれないが、10年後にも価値のある情報を提供するのもひとつの方法かと私は思う、つかそうありたいですね。

そんな訳でこれからもブログやミクシィやツイッターではない、ホームページという、受け手はともかく作り手にとって(というか私にとって)最も自由度の高いメディアにて遅くて重いコンテンツをお届けする所存ですので今後とも努々お覚悟召されたし。

via: 珍寺的篠栗霊場巡り/切幡寺

なぜ私がTwitterを使うかといえば、興味深い情報を提供知る人がTwitterで情報を出すようになったからだ。

しかし情報の断片化、短時間化には常に警戒感を抱いている。自分がこんなところで文章を書き散らしていてなんだ、とも思うが。しかし前にも書いたけどまじめに考えているんですよ。Twitter脳の恐怖について。

だから私も文章を書く場所は基本的に"ホームページ"である。

さらにJobs氏は、革新・制御・秘密主義に基く同社独自のカルチャーを築き上げていった。これはシリコンバレーで受け入れられていた「オープンネスと共有」という価値とは逆行するものだったが、実際に成果をあげていった。少なくともJobs氏の指揮下においては、トップダウン式の制御は効果的であることが実証されていったのだ。

via: 「世界最大の技術企業」になったApple社、その10年 | WIRED VISION

このAppleのやり方もロックだと思う。というか"●●がトレンド"とかいう言葉は実にくだらない、と自分がそうした言葉を散々つかってきた後の私は思う。

経営コンサルタントとかは様々な一般論を述べるのだろう。しかしそれがなんなのだ。

といったところで今日は投げっぱなしでおしまい。