iなんとかで失ったもの

2010-07-14 07:41

というわけでiPhoneをもち、会社の机がなぜかiPadの充電ステーションになっている私であるが、心の奥底には常に影がつきまとっている。

結局のところiPhoneで何をみているかといえば圧倒的に多いのが2chである。もちろん興味深い情報も多いのだが、それだけでいいのだろうか。一日24時間が変わらないとすれば、2chを見るために犠牲になったものはなんだろうか。

するとiなんとかに限らず、PCでもだらだら情報を閲覧している時間が多いことに気がつく。この

"情報をだれ見"

することによってどのように満足感が得られるのか、という問題は誰かに研究してもらうとして、その結果については常に懸念が付きまとう。


もう一つ。親指をせわしなく動かすガラケーインタフェースを嫌悪する私であるが、iなんとかもそれよりましではあるが、依然として美しいとは言えない。結局(私も含めて)小さな画面に見入って指を動かしているだけなのだ。

そうこう考えているうちこんな文章に出会う。





あなたが手にしている、そのゲーム機のようなものと、妙な手つきでさすっている仕草は気色わるいだけで、ぼくには何の感心も感動もありません。



宮崎駿監督iPadについて「ぼくには、鉛筆と紙があればいい」と語る:平凡でもフルーツでもなく、、、:ITmedia オルタナティブ・ブログ から引用





世界に対して、自分で出かけていって想像力を注ぎ込むことをしないで、上前だけをはねる道具としてiナントカを握りしめ、さすっているだけだからです。



 一刻も早くiナントカを手に入れて、全能感を手に入れたがっている人は、おそらく沢山いるでしょう。



宮崎駿監督iPadについて「ぼくには、鉛筆と紙があればいい」と語る:平凡でもフルーツでもなく、、、:ITmedia オルタナティブ・ブログ から引用

そしてとどめはこの言葉だ。





あなたは消費者になってはいけない。生産する者になりなさい。



宮崎駿監督iPadについて「ぼくには、鉛筆と紙があればいい」と語る:平凡でもフルーツでもなく、、、:ITmedia オルタナティブ・ブログ から引用

関心を自分自身のことに絞る。何か新しいものを作っていないと倒れそうになる、と不惑を超えた今頃実感している私であるが、2chをだらだら観ている時間があれば、中断しているGoromi-Padなどつくるべきではないのか。そこから目をそらしてどうする。

PCに向かって電車の中でうんうん唸りながらプログラムを作っている姿が傍目に美しいか、という問題はさておき、つくらなくてどうする。

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もう少し小さな問題として

"Google先生のお告げに従い文字情報にたどり着けばわかった気になる"

という問題もあるのだが、これは別に考察すべき。