そもそもプレゼンテーションはなんのためにするのか

2011-04-14 07:43

聴衆を退屈させるため、とか予算案を通すためには必要だとかいろいろあるわけだが、人前にでてしゃべる理由はなんなのか。

少し前のことになるが、こんな記事を見つけた。

今回は色んな「師匠」に教わりながら、私なりにいつも意識してプレゼンに取り組んでいる「6つの誓い」をご紹介したいなと思います。一部「それは違うんとちゃうの」というご指摘もあろうかと思いますが。。。


via: 私が考えるプレゼンを良いものにする「6つの誓い」 - 中小企業診断士 和田伸午のおもしろビジネス放談

この6つの誓いのうち、最初の二つを読んで私はこう思った。

「事前に資料を配布し、しかも"しゃべり"とプレゼン資料が一致しているのであれば、そもそもプレゼンを行う意味がないではないか」

その疑問に対する答えがポストされた。以下に引用する。

また、「聴く必要がないのでは」ということに関しては、こう考えています。

例えば1時間のプレゼンとして、1日8時間働いている方の1時間を頂戴するというのは非常に重いことです。ですので、その方がもし「この資料さえあればプレゼン聴く必要ないな」と思われたら、プレゼンは聴かずに資料だけ読んで頂き、「1時間を別のことに使って頂いたほうがその方のためになる」と私は思うんですね。

via: 良いプレゼン「6つの誓い」に頂いたコメントに回答してみます - 中小企業診断士 和田伸午のおもしろビジネス放談

つまらないプレゼンをする人は多いが、その人達がこれくらい徹底した考え方を持っていればと思う。時間を無駄にしないですむからだ。資料を送付しておいてください。メールをゴミ箱に捨てる。一分もかからない。

プレゼンテーションというものに対してはいろいろな考え方が存在する。「プレゼンに対するアドバイスをください」といわれ「君がやっているのはビル・ゲイツ。スティーブ・ジョブズ型を目指してみてはいかが」と人に言ったことは何度かある。しかし一度も聞いてもらえたことはない。

これはそもそも「プレゼンとは何か」という根本に関わっていることなのだと思う。それがおそらく食い違っているので、議論にならない。その「食い違い」をうまく言語化できなかったのだが、先日こんな一節を見つけた。


これらの事の本質は実にシンプルで「自分のいいたいことが相手に伝わり、共感してもらえなければ、そもそもプレゼンする価値がない」という至極当たり前のことである。その観点にたてば、それまでの自分の説明というのはおおむね「聞いて理解しようと努力してくれる人にたいして、各種データを提供していただけ」といことを、その後ベインでいろいろなプロジェクトに関わり、たくさんのプレゼンをこなす中で、徐々に理解するにいたるのであった。

スティブージョブス驚異のプレゼン P386 解説外村仁氏

冒頭引用したブログを書いた人の意図を私なりに要約すると

「資料を送っただけでわかるのなら、聞く必要はありません。」

である。これはまさしく「聞いて理解しようと努力してくれる人にたいして、各種データを提供する」ことなのだ。

私が目指しているのは「相手の共感を勝ち取る」こと。そもそもの目的が違うのだから、方法論が違って当然だ。

例えば書いてあることをそのまま読むのは「相手のため」を考えたとき親切な方法ではない。

「口から出てくるのと同じ情報を文字でスライドに載せてもいいことなどない。それどころか伝えたい事が伝わりにくくなるといいかげん気づいてもいいはずだ」

スティーブジョブス 驚異のプレゼンp164

私はめったにそういう事はしない。しかし送っただけで理解してもらえる資料を作るのであれば、しゃべることをそのまま書いておくのは当然だ。

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もとに戻ろう。プレゼンを行う意義は「自分の主張を理解してもらい、相手の共感を勝ち取る」ことにあるとしよう。自分を「聴衆」の立場においたとき、相手を理解しよう、共感できるかどうか見極めようとしたときに何に着目するか。

広告の専門家で著書もあるポール・アーデンは、プレゼンテーションを聞きに来る人は、プレゼンターに会いに来ているのであって、プレゼンターの言葉を読みにきているわけではないとして、次のようなアドバイスをしている。

スティーブジョブス 驚異のプレゼン p189

「プレゼンターに会いに来ている」これは重要である。あくまでもプレゼンの主役はプレゼンターなのだ。聴衆はプレゼンターを見ている。セールスマンとどこか相通じるところがあるかもしれない。セールスマンが売っているのも結局は「自分」なのだ。

友達が指摘してくれたことだがプレゼン資料はあくまでもVisual Aidであり、「助け」でしかないのだ。

なのに大画面に表示されるのはプレゼン資料だけ。これは何かおかしいと思いませんか?といったところで以下次号。