街に響く募金の声

2011-04-21 07:34

街に響く募金の声が嫌いだ。一定の調子で

「東日本大震災の、、募金を、、、よろしくお願いします」
「よろしくおねがいしまーす」

という声が繰り返される。道行く人をなんだかいやーな気持ちにさせる。いますぐ駆け寄り、箱に金をいれなくてはいけないような気分になる。

しかし声をはりあげている人たちの善意を疑う理由はない(本当はそうでもない。年をとるにつれ、該当で知らない人に募金することがいかに危険かを学ぶようになったからだ。しかしそれはここの本題ではない)

なるほど、募金をしようという気持ちは「良い物」だろう。

しかし

そんな方法は私が幼い頃から何十年と繰り返されてきた方法だ。もっと違った方法はないのだろうか?

ここで課題をこう変えてみる。

10名のスタッフがいます。元手10,000円(10名が1000円づつだしたのだ)を5時間で、できるだけ増やし、東日本大震災への義援金としてください。

こうしたとき、はたして街頭に立って声を張り上げることだけが解決方法だろうか?

先日読んだ本にこんなことが書いてあった。Stanfordで実際に行われた課題である。(文章は要約)

課題:いま、手元に5ドルあります。2時間でできるだけ増やせと言われたら、みなさんはどうしますか?

(中略)

タイヤの空気圧を無料で調べる。必要なら1ドルで空気を入れます、というサービスを提供したグループがあった。2時間の制限時間が半分ほどすぎた時点で、料金を請求するのをやめ、寄付をお願いする作戦にかえた。これで収入が一気に増えた。

(中略)

いちばん多くを稼いだのは別のチームでした。自分たちが使える資源はなんなのか?まったく違うレンズで見て、650ドルを稼ぎ出しました。もっとも貴重な資源は、5ドルでもなければ2時間でもない。月曜日の三分間のプレゼンテーションこそが一番貴重だ、とひらめいたのがミソでした。そこで、クラスの学生を採用したいと考える会社に、その時間を買ってもらうことにしたのです。

20歳の時にしっておきたかったこと P10-13

最後の解決方法は、Stanfordならではだがここではそれは本質的な点ではない。見方を変えれば設定されたリソースを使って義援金を増やす方法はいくつもあるのだ。

私が学生だった頃に比べれば、起業とかイノベーションという言葉はずっと学生にとって身近な物になっていると思う。今回の災害に対して何かをしたい、という気持ちを形に剃る方法はいくつもあるのではなかろうか?

認めたくないことだが、今回の災害から立ち直る戦いは長期戦になる。であれば、「我慢」と「善意」だけをもって長く継続することは難しい。参加する人たちに全てにとって周り続けるような方法を考えなくては、と思うのだ。

実際「街頭募金」は前述の課題でどの程度の「成績」を収められるのだろうね?