私が考える良い研究
2011-04-28 07:01
これについては本家の方に文章としてまとめつつあるのだが、なかなか公開できるところまでいかないので、考えたこと+最近読んだ本の引用でお茶を濁す。
私が考える良い研究とは
「よくできたSF」
である。では引用。
私は学生によく、研究についてこう言い聞かせている。「これができた、というとそれを聞いた人が「そうかそれを使えばあれもできるようになる」「なんだ、そんなことだったら自分にもできる」「それがうまくいくのなら、自分はこうしよう」などと驚いたり、触発されたりと心が動かされるような研究をしろ!それがメッセージのある研究なのだ」素人のように考え、玄人として実行する P59-60
「私が考える」研究とは、今世の中に存在していないシステム、あるいは知識について探求を行い、現実化するものである。したがって、多かれ少なかれFictionであるわけだ。
しかしFictionといっても、つまるところは物語である。それが「よくできている」と思わせるためには、それが描く世界が読者の心に触れなくてはならない。
だから「物語の構成力」が問われることになる。
私は、よくできる人は研究や仕事を始める前に、これをやったらこんなものができる、こんなふうに社会の役に立つだろう、さらに、人に「いいでしょう」という、その言い方まであらかじめ決めているのではないか、という感じがする。(中略) 私がいつも使う言葉で言えば、自分の中に「研究と応用のシナリオ」がきちんと出来上がっているわけである。素人のように考え、玄人として実行する p62-63
そう考えているので、このシナリオに偽りがあったり、シナリオ自体に同意できない研究を見ると文句をつけたくなる。
「幼児向け」と書いておきながら「幼児に使ってもらったことがない」システムとか、「栄養バランスだけを考えた献立推薦システム」とかだ。それらにどんな高度なアルゴリズムが使われていようが、私にとっては「良い研究」ではない。
今後もこのブログで、他の研究についてあれこれ勝手なことを書くと思うが、根底にあるのはこうした考え方である。