政治家の言葉の重さ
2011-05-06 07:18
同じような感想を抱いた人は多いと思う。
ビンラディンを制裁して喜ぶアメリカ国民には、戦慄を感じました。そもそも裁判もせずに他国で人を殺した上に、大統領が勝利宣言まがいの演説をするというのは、異常なことではないでしょうか。
via: Twitter / @真山仁: ビンラディンを制裁して喜ぶアメリカ国民には、戦慄を感 ...
Pattonのオープニングにもある通り、アメリカ人は戦争が大好きだ。自分たちが不当にしかけられた(とアメリカ人が思っている)戦争は、あくまでも完遂する。
最近さすがに聞かなくなってきたが、Remember Perl Harborの言葉は1990年代にもちょこちょこ聞こえてきた。なんでそんなに昔のことを、と思ったが今回のビンラディンに関する一部の米国人の反応を見て、ようやくその一端が理解できたような気がした。
というのは前振り。私が書きたいのはそのことではない。
ビンラディン殺害に関するオバマの演説を聞いた。指示を出したのは「私」と明確に力強く言い切っていた。彼は、ホワイトハウスの前で星条旗をふりまわし、歓声を上げるような人間ではない。自分が何を決断し、それに対して、世界がどのように反応するかある程度理解しているはずだ。
その理解の上での言い切り方、言葉のもつ重みに驚いた。
さて太平洋をはさんだこちら側では、一国の首相がこんなことを言っていた。
首相は8月中旬のお盆までに仮設住宅に希望者全員が仮入居できるようにするとした自らの発言の積算根拠について「5月末までに3万戸(が供給可能)なので、6~7月があれば7万2000戸の希望(戸数)は私が強く指示すれば実現できるという見通しで申し上げた」と説明した。
via: 首相「仮設8月入居」 資材調達など目算なく :日本経済新聞自民党の林芳正氏の質問に対する答弁。大畠章宏国土交通相らとの調整や仮設住宅の建設に必要な資材調達、用地確保などの確たる目算がなかった事実が浮き彫りとなった。林氏は「びっくりした。首相が無理なことを言って、後になってできないということではいけない」と実現の可能性に懸念を示した。
就任以来
「一国の首相がころころ変わるのはいかがなものか」
以外の理由で支持されたのを聞いたことがない首相だが、いまだその席にしがみついている。視察の様子がTVで流れる。もちろん言葉は聞こえないのだが、その頷き方を見るだけで
「ああ、この人は全然聞いていないな」
というのがわかる。その顔ははっきり言って醜い。カイワレ食べていた頃は、なかなか2枚目と思ったものだが。
ココ・シャネルという人は私にとって印象深い言葉を残しているが、そのひとつにこんなのがある。
20歳の顔は、自然の贈り物。50歳の顔は、あなたの功績。
菅の顔を見ていると、この言葉は本当かもしれん、と思えてくる。50歳まであと少し。あまりみたくない自分の顔だが、時々見返して自分が何をしてきたのか、何をすればいいのか考えることにしよう。