社会規範と市場規範

2011-05-10 07:16

というわけで昨日書いたことと少しつながるのだが

何年も前にマーガレット・クラーク、ジャドシン・ミルズ、アラン・フィクスが指摘したように、それはわたしたちがふたつの異なる世界、-社会規範が優勢な世界と、市場規範が規則をつくる世界-に同時に生きているからだ。

(中略)

社会規範と市場規範を混同してはいけない。-とくにこの場合、混同すれば女性を売春婦呼ばわりしていることになる-ことを男は知っておくべきだった。

予想通りに不合理-p106

読んでいるのはこの本。


先ほど引用した部分の導入として書かれているのは以下のような仮想のストーリー。

親戚の家で、すばらしいディナーをごちそうになった。堪能したところでおもむろに 「今日の代金をいくらお支払いすればいいでしょうか?」

家に来てくれた親戚に、ディナーをふるまうのは社会規範。サービスに対価を払うのは市場規範というわけだ。ちなみに後半で引用されているのは

僕は君とのデートにもう何万円も費やしているんだ。いつになったら◯◯させてくれるんだ!

と言ってしまった男の物語である。

DeNAとかGREEは市場規範において実にすばらしい成果を上げている。私の中でひっかかるのは社会規範のほうだ。

「そんなことして金儲けして恥ずかしくないですか?」

と問えば、DeNAの社長は胸をはって

「なんらやましいところはありません」

と答えるだろう。さすがは元コンサルタント。

携帯の無料ゲームサイトとしては後発のグリーに一旦は捲られるも、地道に客単価を吊り上げ、こっそり抜き返したかと思うと、いつの間にか収益的には倍近い差を付けるなど、やることにいちいちソツがない。以前に自社のプラットフォームにゲームを提供する開発会社に対して、優越的な立場を利用し、他プラットフォームへのゲーム提供をやめるように圧力をかけた問題が報じられた時も、南場女史は「あら、国内にライバルなんていたかしら(証拠はあって?)」という風情でシラを切っており、実に嫌味なエリートという感じであった。

via: 日本のベンチャー企業に見られる3つの類型 - よそ行きの妄想

南場氏の言葉を見ていると、実に巧みに市場規範と社会規範を混同させている、という印象をうける。頭のいい人は違うねえ。

市場規範と社会規範は一致するのだ、という楽観的な意見もたまに目にするが、パチンコ産業や、DeNA,GREEが隆盛を極めている現状を見る限りそうとも思えない。

そもそも日本において大成功しているベンチャーというのが、楽天、GREE,DeNAというのがどうも釈然としない。FaceBook,Google,Amazonと比べたときのこの差異はなんなのか、というところで次回に続く(いままでこう書いて本当に続いたことあるのか)